
沿革
年月 | 大阪教育大学の状況 | 全国的状況 |
1872. 8 (明治5年) | 国民皆学をめざす「学制」公布 | |
1873. 8 | 文部省,官立大阪師範学校を設立し、生徒募集(定員100人)を公示 | |
9 | 大阪府,難波別院(南御堂)内の集成学校に「講習所」を開設 | |
1874. 5 | 大阪府,難波別院内に「教員伝習所」を設立 | |
教員5人,生徒は男123人・女1人 | ||
1875. 8 | 教員伝習所を「大阪府師範学校」と改称 | |
1876. 6 | 大阪府師範学校の二等訓導兼監事布施萬が同校の初代校長に就任 | |
9 | 大阪府師範学校,修業期間を2年とし,終了後6ヶ月の授業法演習を課し,実質上の在学期間を2年半とする。 | |
1877. 6 | 第四大区常安町の旧久留米藩邸に校舎を新築,附属小学校も設置 | |
1878. 4 | 大阪府師範学校,上本町鈴木町の廃校になった官立大阪師範学校跡地に移転 | |
1880. 5 | 大阪府会で師範学校廃校の動議を提出 | |
1881. 2 | 大阪府師範学校,上本町鈴木町の校舎が大阪中学校となり,常安町の旧校舎へ戻る | |
大阪府,堺県を合併し,大阪府師範学校は「府立大阪師範学校」,堺県師範学校は「府立堺師範学校」と改称 | ||
7 | 府立中学校を廃して,大阪師範学校に中等科を設置 | |
8 | 師範学校教則大綱制定 | |
1882. 9 | 附属裁縫場を設け,修業年限2年の小学校裁縫科教員養成課程とする。 | |
1884. 9 | 大阪師範学校,体操に歩兵操練・遊泳が加わる。 | |
1885. 7 | 大阪師範学校,附属女子師範学校を仮設し,ほかに裁縫専習科を置く | |
1886. 3 | 堺師範学校・奈良師範学校が廃止され,大阪師範学校・吉野師範学校に合併 | |
4 | 師範学校令・小学校令・中学校令公布 | |
6 | 吉野師範学校が廃止され,大阪師範学校に合併 | |
9 | 大阪師範学校を「大阪府尋常師範学校」と改称 | |
同校の女学科(附属女子師範学科)が分離独立して大阪府女学校となる | ||
12 | 大阪府尋常師範学校,寄宿舎を新設し兵営訓練を実施 | |
1887.1 | 大阪府尋常師範学校,生徒の博物・地理・歴史研究のため修学旅行を実施 | |
1890. 3 | 大阪府尋常師範学校に女子師範学科を置き,生徒は全員寄宿制 | |
1890.1 | 「教育勅語」発布 | |
1892.1 | 大阪府尋常師範学校に附属幼稚園を開き,保育開始 | |
園児募集(60人) | ||
1894. 8 | 日清戦争勃発 | |
1897.1 | 師範教育令公布 | |
1898. 4 | 大阪府尋常師範学校,「大阪府師範学校」と改称 | |
11 | 大阪府師範学校,生徒定員の大幅増加により,女子部を分離独立させ,男子部も移転する方針を決定 | |
1900. 4 | 「大阪府女子師範学校」,南区天王寺北山町・小宮町に新校舎竣工 | |
8 | 小学校令改正(義務教育4年となる) | |
1901. 3 | 大阪府師範学校男子部,南区天王寺字南河堀町の新校舎に移転 | |
1903.1 | 大阪府師範学校教材研究会編纂『初等教育教材研究』を創刊(宝文館) | |
大阪府師範学校運動会を初めて開催 | ||
1904. 2 | 日露戦争勃発 | |
1906. 1 | 大阪府師範学校で初めてペスタロッチ会を挙行 | |
1907. 3 | 小学校令改正(義務教育年限が4年から6年に延長) | |
4 | 師範学校規程制定により本科第二部を設置 | |
1908. 1 | 大阪府下小学校教員を対象に附属小学校において授業参観会を初めて開催 | |
4 | 「大阪府池田師範学校」,豊能郡池田町の大阪府立池田中学校跡地に開校(全国初の私費制師範学校) | |
大阪府師範学校,「大阪府天王寺師範学校」と改称 | ||
1911 | 池田師範学校講堂に文相小松原英太郎の揮毫「勤勉質実」を掲額 | |
1917. 4 (大正6年) | 天王寺師範学校,生徒通学の制を設ける | |
1920. 3 | 池田師範学校,私費制から給費制に改める | |
1924.1 | 天王寺師範学校,創立50周年記念式を挙行 | |
12 | 文部省,師範学校の修業年限を1年延長して5年とし,本科第一部・第二部の卒業生を1年修学させるため専攻科を置くことを通達 | |
1925.11 | 大阪府三師範学校学校教育研究会編纂『我等の教育』を発行(修文館) | |
1926. 4 | 天王寺師範学校・女子師範学校・池田師範学校に専攻科1学級ずつを開設 | |
1927. 2 (昭和2年) | 天王寺師範学校教育学会編『教育時報』第5輯ペスタロッチ記念号を発行 | |
3 | 大阪府女子師範学校,住吉区流町の新校舎に移転 | |
1929.1 | 世界恐慌始まる(日本では昭和恐慌となる) | |
1931. 9 | 満州事変勃発 | |
1937. 7 | 日中戦争勃発 | |
9 | 天王寺師範学校の改築工事を終了し,新校舎に移転 | |
1939. 7 | 池田師範学校新校舎第1期工事完成,附属小学校が移転して授業を開始 | |
1941. 4 | 国民学校令施行により附属小学校を附属国民学校と改称 | |
12 | 太平洋戦争へ突入 | |
1942. 1 | 「国民勤労報国令施行規則」により師範学校生徒も出動開始 | |
4 | 池田師範学校,池田市城南町に新校舎が完成し移転 | |
1943. 3 | 師範教育令改正 | |
4 | 大阪府から国への移管により,天王寺師範学校・女子師範学校は「大阪第一師範学校」男子部・女子部,池田師範学校は「大阪第二師範学校」と改称され,本科3年・予科2年の専門学校となる | |
1944. 1 | 大阪第二師範学校女子部の生徒募集(本科180人・予科40人) | |
4 | 同校女子部,南河内郡富田林町毛人谷の元大阪府立富田林高等女学校跡に開く | |
8 | 「学徒勤労令」公布により,学校報国隊が組織され,勤労動員が行われる | |
9 | 大阪第一師範学校附属国民学校初等科3年から6年までの107人の児童が南河内郡東条村の「若楠寮」を分教場として集団疎開 | |
1945. 4 | 「決戦教育措置要綱」により1年間授業を停止し,本土防衛と生産増強に挺身 | |
5 | 戦時教育令公布により「学徒隊」が組織され,本土決戦に備える | |
7 | 大阪第一師範学校男子部附属国民学校高等科生徒が泉北郡信太村の神州塾に宿泊し,和泉町の森田航空株式会社に勤労動員 | |
8 | 敗戦で戦争終結 | |
1946. 5 | 大阪第二師範学校,1ヶ月遅れて入学式を行う | |
1947. 3 | 教育基本法・学校教育法公布 | |
1947. 4 | 新学制により附属国民学校は附属小学校と改称され,附属中学校が併置される | |
1948. 7 | 「大阪学芸大学設置認可申請書」を文部大臣に提出 | |
1949. 3 | 大学設置審査委員会総会において大阪学芸大学の設置を可決 | |
大阪第一師範学校及び大阪第二師範学校を包括して「大阪学芸大学」学芸学部となり,小学校教員養成課程・中学校教員養成課程を設置 | ||
大阪第一師範学校長北川久五郎が初代学長に就任 | ||
6 | 大阪学芸大学開学 | |
7 | 新入生574人を迎え,第1回大阪学芸大学入学式を挙行 | |
11 | 天王寺分校講堂で開学記念式を挙行 | |
1950. 4 | 聾学校教員養成二年課程を平野分校に設置 | |
学芸を研修する課程(2年・4年)を設置 | ||
1951. 3 | 大阪第一師範学校・大阪第二師範学校・富田林分教場が廃止 | |
4 | 附属天王寺小学校・附属天王寺中学校・附属池田小学校・附属池田中学校・附属平野小学校・附属平野中学校・附属幼稚園を設置される | |
1952. 4 | 特別教科(音楽)教員養成課程を設置 | |
1953 | 学芸を研修する課程(2年・4年)を廃止 | |
1954. 4 | 第二部(夜間課程)小学校教員養成五年課程を天王寺分校に設置 | |
学芸専攻科(教育・心理・社会科教育・理科教育・絵画・体育・音楽)を設置 | ||
1955. 1 | 教育研究所を設置(学内措置) | |
1956. 4 | 天王寺分校・池田分校に附属高等学校を設置 | |
中学校教員養成二年課程を廃止し,学生定員を4年課程に振替え | ||
1958. 4 | 学科制を導入 | |
1959 | 小学校教員養成二年課程を廃止 | |
1961. 5 | 理科中央研究室を設置(学内措置) | |
1963. 4 | 養護学校教員養成課程を設置 | |
1964. 4 | 特別教科(音楽)教員養成課程の新校舎が池田分校内に竣工 | |
10 | 東京オリンピック開催 | |
1965. 4 | 特別教科(数学・理科)教員養成課程・聾学校教員養成課程を設置 | |
1966. 4 | 附属養護学校が設置され,養護教諭養成所を付置 | |
1967. 4 | 幼稚園教員養成課程を設置 | |
6 | 大阪学芸大学から「大阪教育大学」へ学名を変更 | |
1968. 4 | 大学院教育学研究科(修士課程)を設置(学校教育・国語教育・社会科教育・数学教育・理科教育・英語教育の6専攻を置く) | |
1969. 4 | 肢体不自由児教育教員養成課程を設置 | |
1970. 3 | 大阪万国博覧会開催 | |
4 | 言語障害児教育教員養成課程を設置 | |
1971. 7 | 大阪教育大学教授会が柏原市旭ヶ丘を移転統合の第一候補地に決定 | |
1972. 4 | 附属高等学校平野校舎を設置 | |
1973. 4 | 病虚弱児教育教員養成課程を設置 | |
1974. 4 | 大学院教育学研究科に家政教育専攻を増設 | |
特殊教育特別専攻科を設置 | ||
保健管理センターを設置 | ||
同和教育センター発足 | ||
1975. 4 | 大学院教育学研究科に音楽教育・美術教育・保健体育の3専攻を増設 | |
1976. 4 | 養護教諭養成課程を設置 | |
大学院教育学研究科に障害児教育専攻を増設 | ||
1988. 4 | 教養学科を設置 | |
障害児教育五課程を改組し,障害児教育教員養成課程を新設 | ||
教育学部附属教育実践研究指導センターを設置(同和教育センターの機能を吸収) | ||
特別教科(音楽・数学・理科)教員養成課程を廃止 | ||
大講座制の採用(第二部を除く) | ||
大学院教育学研究科修士課程において大学院設置基準第14条による教育方法の特例を実施 | ||
1989. 9 (平成元年) | 留学生指導センターを設置 | |
1991.12 | 近畿日本鉄道「大阪教育大前」駅開業式が行われる | |
情報処理センターを設置 | ||
1992. 5 | 柏原キャンパス開校記念式典を挙行 | |
1993. 4 | 大学院教育学研究科に技術教育・総合基礎科学・健康科学(天王寺キャンパス・夜間)の3専攻を増設 | |
1994. 4 | 大学院教育学研究科に国際文化専攻を増設 | |
8 | 事務局棟完成をもって,柏原キャンパスのほぼ諸施設が整備される | |
11 | 創基120周年・移転完了記念式典を挙行 | |
1995. 3 | 教育専攻科を廃止 | |
4 | 大学院教育学研究科に芸術文化専攻を増設 | |
1996. 3 | 情報処理センター竣工 | |
4 | 大学院教育学研究科に実践学校教育専攻(天王寺キャンパス・夜間)を増設 | |
第二部で大講座制を採用 | ||
1999. 4 | 生涯学習教育研究センターを天王寺キャンパスに設置 | |
2000. 4 | 小学校教員養成課程及び中学校教員養成課程を改組 | |
教育学部附属教育実践総合センターを設置 | ||
教育学部附属教育実践研究指導センターを廃止 | ||
2000.12 | 天王寺キャンパスの新校舎完成(放送大学大阪学習センターと合築) | |
2002. 4 | 大学院教育学研究科に養護教育専攻を増設 | |
障害児教育教員養成課程に視覚障害教育コースを増設 | ||
2003. 4 | 学校危機メンタルサポートセンター(全国共同利用施設)設置 | |
2004. 4 | 国立大学法人大阪教育大学発足 | |
2006. 4 | 教職教育研究開発センターを設置(教育実践総合センターと生涯学習教育研究センターを統合) | |
2007. 4 | 障害児教育教員養成課程から特別支援教育教員養成課程へ名称変更 | |
大学院 障害児教育専攻から特別支援教育専攻へ名称変更 | ||
特殊教育特別専攻科言語障害教育専攻から特別支援教育特別専攻科特別支援教育専攻へ名称変更 | ||
附属養護学校から附属特別支援学校へ名称変更 | ||
科学機器共同利用センターを廃止 | ||
科学教育センターを設置 | ||
2008. 7 | 留学生センターを廃止 | |
国際センターを設置 | ||
2010.4 | 小学校教員養成課程と中学校教員養成課程を学校教員養成課程に改組 | |
キャリア支援センターを設置 |






