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運用担当部局:広報室広報係

「灰谷健次郎」シンポジウムを天王寺キャンパスで開催

 本学卒業生で児童文学作家の灰谷健次郎(故人)を多面的な視点から語るシンポジウム「学び教え創った人間」を,命日である11月23日(水・祝),天王寺キャンパス・ミレニアムホールで開催し,市民や現場教職員,在学生など約100人が参加しました。
 『兎の眼』(第8回日本児童文学者協会新人賞),『太陽の子』(第1回路傍の石文学賞)などの著作で知られる灰谷健次郎は,昭和29年に本学の前身である大阪学芸大学に入学,卒業後は17年にわたって小学校で教員生活を送りました。
 シンポジウムでは,“教師 灰谷健次郎”から作家への転身の背景には,どのような心境の変化があったのか,小学校教師としての経験がその後の創作にどのような影響を与えたのか,教育観や児童観について,同じ教師時代から生涯の友だった児童文学作家の岸本進一氏と,親子のように身近だった甥の灰谷政之氏(太陽の子保育園長)らが語り合いました。
 シンポジウムは,学校勤務時代から親交を深めた園田雅春教授(第二部実践学校教育講座)のコーディネートで進められました。岸本氏からのエピソードでは,学校での休み時間に子どもと無邪気に遊ぶなど無類の子ども好きだった灰谷先生,詩や作文をいっぱい書かせ,こまめに返事を返し,追い込み,乗せるのがすごくうまかった教師時代を紹介し「教育者としての力量のすごさを,周りの先生方は誰もが認めていた」と指摘しました。そのうえで,「教えるのでなく子どもと共に育つのが教育だという教育観に貫かれていました。作家となって,子どもの作文から学び創作へのヒントを生み出したように思います」と強調しました。
 また,「仕事だけでなく遊ぶことも一生懸命だった」と振り返り,灰谷氏も「当たり馬券を知的に分析する競馬好き」「美味しいものを食べに海外へも出向く食通だった」と横顔を紹介しました。そのうえで「保育園を作って運営を他人に任せましたが,自分自身,いつも子どもと一緒にいたかったみたいです」と,神戸市にある保育園を何度も訪れたエピソードを交えました。
 大阪学芸時代から教師時代にかけて親しく交友した,瀧口豊一氏(長野県在住)からのメッセージもインタビュー形式の記事で配布され,すでに文学を志していたものの,大学の授業にはあまり出席しなかった学生生活の様子や,教師となって児童詩誌『きりん』の編集者・浮田要三氏との出会いなどが紹介されました。
 会の呼びかけ人で第二部実践学校教育講座の池川敬司教授は「子どもが大好きで,子どもの心にそった教育者としても素晴らしかった彼の実像の一端を知ってもらえたのではないか」と話していました。

会場の様子
(左)岸本進一氏(児童文学作家)(右)甥の灰谷政之氏(太陽の子保育園長)

(企画課広報室)