エッセイ

中学校
2021/01/26
 

それは文化祭の取組が始まってから少し経ってからのできごとだった。職員室に私の名前を呼ぶ女子生徒7人の声が響いた。女子生徒は8月まで一緒に頑張っていたソフトテニスの子どもたち。その子どもたちが「先生、お願いがあります。」「なに? なに?」「あの~、有志発表に一緒に出てください。」「まじで!」と私。「で、何をするの?」と聞くと返ってきた言葉は「NiziU。」

当然私には何か全くわからない。詳しく聞くと、韓国と日本のアイドルグループらしい。早速ネットでしらべてみると、私は愕然とした。「これを全校生徒の前で踊るのか」と。

その日から昼休みに私の名前を呼ぶ声が職員室に響く。私にとっては、苦痛と恐怖の瞬間でしかなかった。50(歳)を超えた私の身体が言うことをきくはずがない。 

しかし、子どもたちの声は容赦なく「先生!ここから入ってきて」と叫ぶ。私は、見よう見まねで何とか覚えようとするが、ただ冷や汗しかでない。 

それから数日後、いよいよ文化祭前日となった夜、YouTubeを何度も再生しながらその動作を繰り返す。そして当日、文化祭のオープニングが始まるが全く落ち着かない。これまでの文化祭での有志発表は単に一コマでしかなかったが、今は違う。私になってすべてだったのだ。文化祭はあくまでも生徒が主役。教師がしゃしゃり出るなんてそんな選択肢はなかった。その私が長年の教師生活ではじめて全校生徒の前で踊るときがきてしまった。 

いよいよ「Make You Happy」のサビ、私は思い切って舞台に飛び出して「縄跳びダンス」を踊る。すると、体育館が歓声で包まれる。恥ずかしさと嬉しさが入り混じった気持ちが支配する。体育館の生徒たちの顔を見ることができなかったが、歓声だけは聞こえてきた。  

さまざまな大会が中止になって不完全燃焼のまま引退することになった3年生たち。その3年生が未練なく引退できるように私はメダルを用意し、自分の名前を冠する校内大会を企画した。コートでプレーする3年生の姿は公式戦のような姿があった。私を突き動かしたのはこれまでの部活動に取り組む姿であることは疑いがない。そんな気持ちが通じていたのだろうか。だからこそ、50を過ぎたおじさん教師の私が有志発表出場を頼まれたとき、本当は心の奥底は嬉しさで一杯だった。そばにいた若手の先生の「先生、やりますねえ」の言葉がそれを物語っている。教師冥利に尽きる瞬間だったのだ。ただこれだけではない。ステージに出たときの瞬間の全校生の歓声、文化祭後に様々な生徒からの声掛けなど7人の子どもたちは、「私が教師としてここにいること」に援護射撃してくれたとも思っている。 

その後、さまざまな場面で多くの生徒とのかかわりがスムーズになったことは言うまでもない。7人の子どもたちは今でも廊下ですれ違うとあいさつをしてくれる。私もあいさつを交わすと同時に、心の中で「ありがとう」とつぶやいている。