エッセイ

高等学校
2021/01/26
時を超えたつながり
 

大学構内の食堂で昼食を取った後、部屋に戻ろうと階段を上っていると、授業を終えて食堂へ向かう女子学生と目が合った。マスク越しではあるが、笑っているのが目尻の変化で読み取れる。「先生、合格しました。面接で良い評価をもらっていました。ありがとうございました。」と声を掛けてくれた。私も「良かった。良かった。おめでとう。」と言葉を返し、喜びを共にした。 

私の教師生活は、高校教員から始まり、教育委員会勤務を経て、今は大学で教員養成に関わっている。教職教養を教える一方、教員採用試験対策の面接指導などにも関わっている。私に話しかけてくれたのは、面接指導で関わった学生であった。 

教師という仕事に携わっていて、最も意義を感じるのが、生徒や学生の人生に何らかの影響を及ぼす立場であることだと思う。特に、高校と大学は社会に直結しているので、より重要度が高い。だから、高校で3年生の担任になった時は、生徒の進路指導には、より力を入れて取り組んできた。進学を希望する生徒には学習計画で相談に乗り、就職を希望する生徒には、希望に沿った企業紹介や面接指導を行ってきた。そして、「合格」という知らせを生徒とともに喜び合うのが、「教師をしていて良かった」と感じる瞬間だったのである。 

話は変わるが、先日、近所のフランス料理店に食事に出かけた。夫婦二人で切り盛りしている小さなお店であるが、安くておいしいと評判だったので、出かけることにした。何品かを注文して食べてみると、ドレッシングやソースに工夫があり、素材の味が活かされ、確かにおいしいかった。食事も終盤に差し掛かったとき、マスターが微笑みを浮かべながら席に顔を出してくれた。「先生ですよね」と声を掛けられ、思わず身構えた。教師をしていると、時々こんな場面に出くわしてしまう。仕事を離れていると思っていても、仕事に戻る瞬間である。そして「高校でお世話になった○○です。」と、ニコニコしながら話してくれた。その笑顔を見ながら、私は頭をぐるぐると巡らせて、記憶の底を探っていった。そして、高校時代の彼の面影とマスターの笑顔の表情が重なってきた。マスターは私が3年生で担任をした生徒の一人であった。高校卒業後、30年以上たっていて、私はマスターが卒業生であると気づかなかったが、彼は私を覚えてくれていたのだった。その後の食事がより豊かになったのは言うまでもない。マスターにお礼を言い、家に戻ると、早速卒業アルバムを引き出し、懐かしい卒業生の顔を眺めながら、30年以上前の思い出に私は浸り続けることができた。「教師冥利」は、尽きることなく突然やってくるものである。