エッセイ

高等学校
2021/01/21
素晴らしき中退生徒との再会
 

教員にはそれぞれの人生が刻まれ、教育上の経験が存している。しかし、それを記録しないでおいては、その内容は消え去る。私の教師人生を振り返り、記録に残しておきたい、その気にさせてくれた出来事があった。 

2019年9月に、蕨の自宅にT高校の教え子から封書が届いていた。母の面倒見のため羽曳野にいた私はすぐに返事が出せず、一月遅れての返事となった。彼は高校二年で退学し、実に二十五年振りの便りであった。中退したにもかかわらず、彼は会いたがっていた。私も心から会いたかった。12月に彼ともう一人交えて3人で酒席を共にした。これほどうまい酒を味わう機会は前にもなかったし、これからもないだろう。この時、私の教育上の行いに対して、一人の生徒の心に響いたものが残っていたことに気付いた。それは、人への公正な振る舞いと同時に人への共感、寄り添いの感覚である。別に言い換えれば、その人への感覚としての信頼感である。私は忘れていたが、中退当時彼の父親に対して、三十代になれば彼は落ち着く、と言ったという。 

公正な振る舞いと書いたが、私は極めて厳しく彼やその周りの人たちに接してきた。生徒指導を担当していたこともあり、荒れた高校生に対しての当然の行為であったが、その底にその生徒たちに対する共感がなければ、彼らとの信頼関係を築けない。教員にとって、行為そのものを厳しく指導することは当然であるが、そのことから人格まで否定するかの態度を取る教員もいる。なぜそのような行為をなすのかという生徒の内側に心を寄せなければ、生徒の心も開かない。 

1995年だったか、彼らと共に北海道へ修学旅行に出かけていた。その中でスキー実習があり、彼らの一部はコーチのいうことを聞かず、コーチから苦情が出た。そのうち一人は退学が決まっており、担任だった私との話し合いで、周りに迷惑をかけず、指導に従うという条件で修学旅行に参加していたが、この苦情のメンバーに入っていた。私は、空き部屋に彼らを呼び、特にその生徒に条件を再確認させ、周りの生徒たちも彼のために周りに迷惑をかけないことをかなり厳しく言っておいた。次の日、実習が終わった後、コーチから私に握手を求められた。「本当にいい子たちになって、実習もうまくいきました」と。  

その後、函館市内の班別行動があり、集合場所は旧青函連絡口にできた広場だった。生徒たちが集まる中、隣にあるショッピング街から苦情が来た。丁度携帯電話流行の走り時期で、店先にあった売り物でない携帯電話のモデルが持っていかれたとのことである。売り物でないだけに、替わりがなく営業に困ることからの怒りの苦情であった。学年主任と協議の上、犯人が名乗り出るまで、列車に乗せないと生徒全員に申し渡し、出てくるまで待った。結構な時間待った気がする。出発時間が迫る中、出てきたのは、昨日きつく指導した私のクラスの二人であった。退学予定の生徒ではなかった。その二人が出てきた時、先頭の生徒に私はおもわず手を出していた。後から考えれば、彼ら二人はよく出てきたのであって、そのことだけを見れば、評価すべきであった。しかし、昨日の彼らを含めた話し合いから裏切られたと感じた私は、おもわず手が出たのであった。実は当時、T高校では、体罰は当然と言い切る教員もいて、この旅行中手を出すなと若手教員に言っていたのが私であった。 

その後、帰りの列車に向かう中で、やってしまったと思っていた私に二人が寄ってきて、改めての謝罪の言葉を言いに来た。私は、手を出して悪かったと素直に言った。すると、平手打ちした生徒が、こう言った。「先生のビンタは腰が入ってないよ」と。私の心が軽くなったことを理解されたい。この生徒は、そのような意図をもって接してくれたのであった。 

そして、退学後必死になって建設関係の仕事に就き、会社内で役職に就いた段階で、彼の父親から私に連絡してみれば、と言われ、改めて手紙を書いたとのことであった。 

彼の存在が、私に、私の教育実践記録を残すことを決意させた。