エッセイ

中学校
2020/11/05
「引っかかる存在」であること

「先生、だめでした」

ある日、授業を終え職員室に戻ると、3年前に卒業していった男子生徒の姿があった。背も伸び、がっしりとした体格に成長して、ちょっと恥ずかしそうに苦笑いを浮かべて。

私を訪ねる卒業生は極めて少ない。卒業するときの最後のホームルームでは、「元気なら連絡はするな」「困ったら、あなたの家族、友人、そのときにあなたのことを一生懸命に考えてくれている先生や上司を頼りなさい。でも、本当に苦しいとき、本当にうれしいとき、私が必要だったら遠慮なくいらっしゃい」と語り、別れを告げていた。

私なりの「振り返らず、前へ進みなさい」というメッセージ。(単に嫌われていて訪ねてこなかったのかも・・・)

彼が所属していた学級は、生徒指導面でも学習面でも、決して「安定した学級」とは言えない状況であり、担任として、なんとかせねばと日々もがいていた。そのような中、彼は、学習にも部活動にも熱心な生徒で、学級では、学校祭の合唱練習や作品制作でもリーダーとして、私にとっては大変頼れる存在だった。高等学校進学後も努力して難関大学に挑戦しようとしているという話は、何度か彼の母親からの近況報告で耳にしていたものの、まさか、突然、目の前に現れるとは想像もしていなかった。しかも不合格の報告。

「母からいろいろ聞いていてくれていたんですってね。ダメでした。」
「でもね、先生、俺、来年もう一回やったら合格するってわかっているので、やります。」

私を訪ねるまでに悔しさや葛藤、苦しさがあったはず。自らの決意を伝え、目標を確かなものにしたかったのだろう。彼の言葉と表情から、自信ではなく、確信をもっていることを感じるとともに、その決意を伝える相手が私であったことに幸せを感じた。

1年後、1年前と同じ場所に、1年前とは違う柔らかい表情で彼は立っていた。
その表情で結果を理解し、互いに涙があふれ、抱き合った。

今、彼は大学院を卒業し、社会人。年に一度は酒を酌み交わす。子どもたちの心にちょっとでも「引っかかる存在」であること。私たちに、何かしらの引っかかりのことばや学びのきっかけをつくれたら。私が、彼から学んだ「教員のやりがいと幸福」を確信した経験である。