エッセイ

小学校
2020/11/01
心にしみた「ありがとう」

今から29年前、初任校の3年目で1年生を担任したときの話です。

38人の4クラス規模の学校で、私は2組の担任でした。 

そのクラスに、M君というプロボクサーT似の男の子がいました。乱暴な子で、入学式翌日には、隣に座っている男の子を上履きで叩くという問題行動を起こしました。その後も、その子からの暴力による苦情は絶えず、間違いなく「学年で1番の悪」というレッテルを貼られ、学年主任や同じ学年の怖い先生からも直接指導を受けることもしばしばありました。学力も低く、理解に時間がかかる子で、取り柄と言えば、どんなに叱られても立ち直りが早いこと、そして学校を休むことがないことでした。 

そんなM君の脛には、時々青痣があり気になることもありました。湿布をして来ることもあり、家の階段等で脛をぶつけたのかなと思い、深く追究することもしませんでした。むしろ自業自得だと思い、痛い思いをして、少しは落ち着いて生活してほしいとも願っていました。 

11月頃になって、それまで一度も欠席をしたことがないM君が、連絡もなしに学校に来ない日がありました。2年生に兄がいるため、理由を聞くと、昨夜宿題をしなくて父親に叱られたらしいということまでは分かりましたが、その先は言葉を濁し、何だか隠し事をしているようでした。 

心配になったので自宅を訪問したところ、リビングのカーテン越しから外を見ているM君らしき男の子がチラッと見えました。M君らしきと思ったのは、いつもとは顔の感じが違って見えたからです。 

家にはM君以外は誰もいないようで、私がチャイムを鳴らし続けると、ようやくM君が玄関の鍵を開けてくれたのですが、その瞬間、私は言葉を失いました。 

M君の顔は、まさに打ち合いの果てボコボコに殴られ12Rを闘い終えたばかりのTのような顔だったのです。さらに動作がおかしかったので調べてみると、背中や脚にも青痣がたくさんありました。直感的に父親の仕業だと分かり、怒りと悲しみがこみ上げてきました。 

今なら即、児童相談所に通報ですが、当時はそのシステムがなく、学校に戻ってから教頭先生に報告・相談し、その日の夜、教頭先生とM君の自宅を訪問し父親と話をすることになりました。 

ただし、教頭先生は、「あなたは車で待っていなさい。怒りが顔に表れているので、冷静に話し合うことができないでしょう。私が一人で話をしてきます。」と言って、一人で家の中に入っていきM君の父親を諭してきたのです。 

その後は、M君への虐待は、ほぼなくなりましたが、M君自身の問題行動は続きました。 

さらに私は2年生でもM君を持ち上がりで担任することになり、彼の乱暴行為を阻止するために、休み時間もずっとそばに置いて行動を共にすることもありました。職員室に用事があって戻って来た時もM君を引き連れていたので、他の先生からは、「まるで、子分のようだね。」と声を掛けられることもありました。 

2年生の最終日を迎え、その年で初任校を去ることが決まっていた私は、帰りの会での話をする際に、2年間共に過ごした子どもたちとの別れに寂しさがこみ上げ、こぼれおちそうな涙をこらえながら話をしました。しかし、新聞発表前だったのでここで涙を見せたら転任を感づかれてしまうと思い、気持ちを切り替え、子どもたちが教室を出るときに一人一人と握手をして笑顔でお別れをすることにしました。 その際に、最後まで教室に残っていたのはM君でした。彼は私と向き合うともじもじしていましたが、横にいたしっかり者の女の子に背中を押されようやく、「先生…、2年間、遊んでくれて…ありがとう…。」と一言、照れくさそうに言葉を発したのです。「そこは、勉強を教えてくれてありがとう、だろう…。」と思いましたが、「遊んでくれて」の言葉の裏に、「ぼくにたくさん関わってくれて」という気持ちを感じ取り、こらえていた涙が一気にあふれ出しました。 

そして、「教師に本当になってよかったな。」と思った瞬間でもありました。