エッセイ

小学校
2020/10/26
揺れるまなざし

私は現在小学校で37年目となり、学校全体を見渡しマネジメントする立場にあります。

教師冥利という響きはすごく新鮮で、あの日あの時あの光景が瞳の奥を駆け巡ります。

担任をしていたときの話を最初にします。Yさんとの出会いは教師生活13年目のことです。Yさんは7人兄弟の次男でした。学校へ来る服はどことなく薄汚れ汗臭いにおいが鼻に残るスタートでした。クラスメートからはどことなく距離感があり、特に女子児童は明らかに顔の表情が思いを象徴していました。男子児童は馬鹿にしてからかう児童がいたものの数人は毎日声をかけてくれていました。いわゆるいじめの構造がありました。私はYさんと接する中で、彼の器用さや家族思いの深さを感じていたので常に何とかしてあげたいという思いはありました。

ある日からYさんは1週間過ぎても学校に来ません。当時はクラスの子どもたちに自習を築く力がありましたので、私はクラスの子どもたちにYさんのことを話して、自習をするよう指示した後、今では考えられないでしょうが、Yさんの家に行きYさんを外へ誘いました。近くの行きつけの喫茶店をお借りして、1時間ほどジュースを飲みながら話を聞き続けました。教室に帰った私をクラスの児童は興味津々で見つめました。私はYさんにみんなに話していいかの確認をもらっていたので1時間かけて話しました。みんなは下を向いて聞いていました。中には、目に涙をためて聞く子もいました。そしていつも声をかけてくれていたクラスの盛り上げ役の男子児童2人が一気に立ち上がって声を出しました。

「ぼくらも会いたい、行きたい。」と。私は「ありがとう。でも、今日はやめとこう。きっとYさんは来る。それを待とう。」と返し、納得してくれました。

3日後にYさんは来ました。教室にいた私は何事もなかったように「よっ!おはよう!」と声を掛けました。Yさんもちょっぴりはにかんでうなずきました。最初はクラスの児童もなんとなく気を遣っていましたが、すぐにあの2人が雰囲気を明るくしてくれました。それからは、女子児童の中にも声をかけたり一緒にふざけて遊んだりする子が出てきました。Yさんは毎日学校へ来ましたが、背負っている家庭の環境はやはりYさんにとっては重い感じがしました。

職業訓練専門の高校を卒業した彼にある日ばったり出会いました。立派ないで立ちで話す言葉も誇らしく、自分の器用さを生かした職業について頑張っているということでした。そして家を守っていると。 教師は決して学校にいるときだけが担任ではありません。卒業してからもいつになってもその子どもたちが立派に独り立ちし、微笑む姿を見たり聞いたりするときに初めて担任冥利を感じるものです。

全体を見渡す立場になっての冥利は、私は朝、校門で「おはよう」と声をかけます。私は必ず後ろ姿を目で追います。そのとき、背中に背負ったその子のランドセルが妙に頼もしく揺れる瞬間に、心が温かくなります。

また、毎朝グラウンドで遊んでいた児童が、始まりのチャイムで、一斉に足早に教室へ駈け込んでいきます。そのあと私は、グラウンドでただ揺れているブランコを見るのが好きです。ただ揺れているブランコに子どもたちの笑顔が見えて、心の中でつぶやきます。「みんな、今日もがんばれよ。」と。

いつになっても、子どもの笑顔と思いに寄り添って揺れるまなざしを持ち続けたいと思う毎日です。