エッセイ

高等学校
2020/10/12
教師ほど素晴らしい仕事は無い

私は大学卒業後、少年院に7年間奉職しましたが、喫煙や万引きなどで退学処分になった少年達を見て、学校の在り方に疑問を持ち教師として指導したいと思い、通信教育で教員免許を取得して教師になりました。採用試験に合格したものの初任校は養護学校でした。養護学校では、障害を持った子どもたちとともに指導法が分からず苦労しましたが、最終的にはその子供たちの立場に立って指導することが大切であると感じました。

その後、女子高に転職して主に日本史を教えました。日本史は高校と採用試験で勉強しただけで10年以上縁がなかったので、教壇に上がるのが怖くなりました。それでもクイズ形式や人物史を入れるなどの工夫を凝らした授業をしたところ、生徒も興味を示して質問もする様になりました。また、卒業生が教育実習の際に使用したいから、とクイズの内容を聞きに来ました。

工業高校では、担任の生徒が自習の時に先生の体を持ち上げてしまい、教師に対する暴行であるという事になり、職員会議では殆どの職員が退学処分の意見でした。しかし、その教師の日頃の態度にも問題があり、事件内容も暴行というほどではなく、また生徒の両親が離婚と同時に彼を両親の親に押し付けて出て行ったという家庭状況を考えると、私は退学を絶対にさせるべきではないと思い反対しました。もし、この生徒が退学させられるなら私も責任をとって担任を降りるということを申し出たのですが、このクラスの担任を申し出る教師はいませんでした。この様なこともあって彼は長期の謹慎処分となりましたが、無事に卒業しました。

この生徒の謹慎中は、ちょうどバブル時期でしたが、夏休みが終わる頃に学校に大手企業の採用担当の方が来ました。私は、その方に謹慎中の生徒ですが性格も良く体力もあり、忍耐力もあるので採用してもらえないかと頼んだところ、その担当者は、先生が推薦するならと採用してくれました。入社後、その生徒からは何の連絡もありませんでしたが、卒業後10年してのクラス会に彼は東京から参加してくれました。会が始まっても彼は私に挨拶することもなかったのですが、次の日に電話連絡があり、自宅に来ました。手土産を持参し、先生が自分を敢えて東京に就職させた本当の理由が分かりましたと頭を下げました。

彼は大卒ばかりの東京の会社に就職させたのは反省させるためであると思っていました。高卒で入社したのは自分だけで、仕事でバカにされたり、麻雀に誘われ麻雀の役も分からずに給料を巻き上げられて大変なこともあったことなど苦労したことを話しました。

今回のクラス会では友人が、1千万の仕事をしているとか、ボーナスがいくらもらっているとか聞いたが、自分は億単位の仕事を担当しているし給料も皆より上であることが分かった。その時に、先生は自分を成長させるために敢えて東京の会社に就職させてくれたのだということを理解したと話しました。

この言葉を聞いて、私は教育と言うのは後になって成果が出てくることを実感しました。卒業生の中には、建築を学んだが、先生が授業を楽しそうにしている姿を見て教師を目指し、浪人しながら努力して、公立中学校の英語の教師として活躍している者もいました。

退職して10年が過ぎて、私が癌闘病中であることを伝え聞いて、かつて担任した複数のクラスがクラス会を兼ねてお見舞いかたがたユーモアたっぷりに生前葬を開いて励ましてくれました。

社会人として立派に活躍している彼らに出会い、教育の成果を実感し、教師であって良かったとしみじみ感じました。