エッセイ

小学校
2020/07/27
3本の鉛筆

もう30年も前のこと。初めての担任は小学校3年生でした。泣いたり笑ったり、毎日元気いっぱいの子どもたちと一緒に、楽しい日々を過ごしていました。 

クラスの中に、A君という小柄で坊主頭の男の子がいました。A君の家庭は、母一人子一人の母子家庭で経済的にも恵まれておらず、支援の対象(準要保護)でした。おとなしい性格で、クラスのみんなとあまり話す方ではなかったため、仲のいい友達はいないようでした。それもあってか、休み時間になるといつも私のそばに来て、何も話さずにニコニコしている子でした。 

A君は、いつも私のそばにいるものですから、ノートを職員室まで運んでもらったり、細々した仕事を手伝ってもらっていました。その時にいろいろと話しかけるのですが、はっきり返事をせずに、A君はいつもニコニコしているのでした。 

5月のある朝、教室に行くとA君が登校していません。風邪でもひいたのかと、A君の家に電話をしてみました。するとお母さんが電話に出て、「どうしてあんなこと言うんですか!」と、怒鳴られたのです。「先生があんなこと言うから、息子が学校に行きたくないなんて言うんです!」私には何のことかわかりませんでした。でも何か大変なことになっているのは間違いありません。すぐにA君の家に行きました。 A君の家に着くと、お母さんは真っ赤な顔をしていました。その横でA君は涙を流してうずくまっていました。お母さんは怒りを押し殺すようにゆっくりと話し始めました。「先生は、クラスのみんなに、給食費を、忘れずに持ってくるようにって、言ったそうですね」当時、給食費などの集金は、現金で学校に持ってきていました。確かに昨日、集金袋を配って、給食費を忘れずに持ってくるように帰りの会で言いました。でも、なぜそれが学校に行きたくないことと関係があるのでしょうか。お母さんは続けました。「うちは、準要保護家庭です。市から補助金が出たら払います。忘れるわけではないのです。でも息子は、今日持って行かないと、忘れたと先生に思われる。それが嫌だから行かないと言うんです」私は何も言えませんでした。体が硬直してしまって、動くこともできませんでした。ただ涙が頬を伝わっていくのは自分でもわかりました。 

その日、その後どうしたのか、今でも思い出せません。ただ次の日、A君はいつもと同じようにニコニコして登校しました。そしていつものように、休み時間に私のそばに来ました。涙が出そうになるのをこらえて、一緒にノートを配ったりしました。いつもニコニコしている笑顔の、その小さな体で、自分の置かれている家庭環境や経済状態を一生懸命に理解し、きっと私には理解できない辛いことや苦しいことに耐えてきたのでしょう。そしてそれはA君だけではなく、他の子たちも、多かれ少なかれ抱えていることでしょう。教師として、子どもたち一人一人を、本当に真剣に見ていかなくてはならないと改めて気づかされたできごとでした。 
 
3月末、修了式が終わって教室に戻り、一人一人に通知表を手渡しました。A君の番になりました。「1年間よくがんばったね」と通知表を渡すと、A君は小さな声で「これあげる」と鉛筆を3本くれました。ちょっといい匂いのする鉛筆でした。そしてA君はクラスみんなの方を向いて、今まで聞いたことがない大きな声で言ったのです。「僕は1年間、先生のクラスでよかった。僕と同じようにこのクラスでよかったと思う人は拍手!」わーっという歓声とともに大きな拍手が起こりました。涙が次から次からあふれてきました。A君が小さな声で「泣き虫!」と言いました。 

3本の鉛筆は今でも私の大切な宝物です。そして、教師のあり方を教えてくれたA君のことを、私は決して忘れません。