エッセイ

高等学校
2020/07/07
言葉の重み

令和元年10月、創立100年を超える伝統校で教頭を務めていた私は、同窓会県外支部の総会に参加することになりました。この高校では約30年ぶり2度目の勤務であり、前回の在籍当時の教え子と再会できる可能性は0ではないものの、彼らも40代の働き盛りであり、シニア層の多い同窓会総会への出席は少ないことが予想されました。

総会当日、参加者を見渡してみると、人生の大先輩が多数を占め、あちこちで学生時代の思い出話に花を咲かせています。総会がスタートし、役員紹介に移りました。壇上に並んだ顔ぶれの中に、どこか見覚えのある男性がいます。慌てて名前を確認すると、果たして、前回の在籍時に顧問をしていた放送部の教え子、A君ではないですか!一気に記憶がよみがえり、当時を思い出しました。

A君は、成績優秀で努力家だったため、多くの教員が難関国公立大学への進学を期待していました。しかし、彼が選んだのは、指定校推薦で私立大学に進学するという道でした。地方では国公立大学志向が根強く、彼も大多数の教員から「一般入試で国公立大学を狙うべきだ。」と言われ、悩んでいました。私は自分が私学出身でもあり、行きたい大学に進学することこそ夢をかなえる第一歩と考え、「進学しようとしている大学は、とてもいい大学だよ。あなたの選択に間違いはないよ。」と伝えると、「そんなことを言ってくれるのは、先生だけです。」とうれしそうに笑っていた顔を鮮明に覚えています。

あれから30年近くが経過し、思いがけず再会したA君は、弁護士になっていました。自分が行きたかった大学で勉強し、夢をかなえたのです。同窓会支部の顧問弁護士を務め、総会では遺産相続についての講演を行い、講演の前には「恩師に会えてうれしいです。」と私を紹介してくれました。歓談の時間、彼に「あのときのこと、覚えてる?」と聞くと、「もちろんです。先生の一言が、背中を押してくれました。」と返ってきて、思わず目頭が熱くなりました。まさに、教師冥利に尽きる瞬間でした。

私自身もそうですが、学生時代に恩師が何気なく発した一言が、生涯に渡り記憶に残ることがあります。教員になってから、特に若い頃は、生徒に与える影響力などあまり自覚せず無我夢中で言葉のやりとりをしていました。ベテランと言われる年齢に達し、成長した教え子と再会する機会が増えると、「先生、あの時、こんなこと言いましたよね。」と言われても、こちらはすっかり忘れてしまっており、冷や汗をかくこともあります。そこで初めて、教師の発する言葉の重みを痛感することになるのです。

教師という仕事は、実におもしろい職業です。成長過程の子どもに寄り添い、支えとなることができるからです。もちろん、配慮を欠いた失言を口にしてしまった苦い経験もあります。そんな経験をしながら、生徒とともに教師も成長していくのです。校長になった今でも、教師のかける言葉の重みを念頭に置いて生徒たちと接するようにしています。

A君とは、早速、連絡先を交換しました。新型コロナウイルスの感染拡大が収束したら、地元で放送部の仲間による同窓会を企画してくれるそうで、その日が来るのを待ちわびる毎日です。