エッセイ

恩師への手紙
2020/11/08
人を信じる
 

「教えるとは、希望を語ること」フランスの詩人ルイ・アラゴンの詩の一節です。

この言葉に出会ったとき、T先生のことを思い出しました。T先生、どうされていますか?相変わらず、いかつい顔で高校の教壇に立っておられるでしょうか?

私はいわゆるお行儀の良い生徒ではありませんでした。居眠りしていて、教室から追い出されたこと、授業を聞いておらず、赤いチョークを本気の勢いで投げつけられたこと、他にも先生には何度も何度も叱られたことを思い出します。

当時の私は制服を着崩し、髪の毛を金髪にした高校生活を送っていました。ある日の昼休み、食堂で黒い大きな財布が、テーブルの下に落ちているのを見つけ、拾いました。すぐに職員室に持っていけば良かったのですが、教室に戻って昼食を摂ってから、職員室に財布を届けました。職員室には、一人の見知らぬ生徒が教員と話をしていました。彼は私を見つけると、少し驚いた表情をしましたが、私は気にせず、手が空いている他の教員に財布を渡し、「食堂で拾った」とだけ伝えてその場を去りました。

後程、T先生が私を職員室に呼ばれました。そして、「財布の持ち主が、お前に盗られたって言うてたけど、そんなことする子ちゃうって言うといたで」と言われました。どういう目撃で私が盗んだことになったのか分かりませんが、先生の一言で片が付き、私はこの後、この件で何も言われることがありませんでした。
また、あるとき、先生は教室に入って私を見るなり「良いことあったぞ」と言われました。クラス中が注目する中、「前の国語の模試、学年で1位やったぞ」と発表されました。勉強面でも出来の良くなかった私が、突然そんな成績を取ったことに、私を含め、みんなが呆然としている中、先生は淡々と、「お前やったらできると思ってた」と言われました。

自分でも信じられないことでしたし、当時の私を、どの角度から見ればそのように思うことができたのか、全く分からなかったです。その後、私は一生懸命勉強しました。自分はやればできるんだ、と自信を持って取り組むことができました。

卒業して年月が経ち、「教えるとは希望を語ること」この言葉に出会ったとき、先生は、常に生徒たちに希望を語ってくれていた、と思いました。明るい未来になるように導いてくれていた、と思いました。教師は、単に授業をするだけではなく、生徒それぞれの未来が明るいものになるように、いつも最善を尽くされているのかな、と思いました。出来の良くなかった私のことを信じて、応援し続けてくれたT先生に感謝しています。先生に出会わなければ、私は少し別の生き方をしていたかもしれません。

私は「人を信じる」という気持ちを持ち続けようと思います。先生が私にそうしてくれたように、私もどんな人にもそうしたいと思っています。