学校安全シンポジウム「安全・安心なまちづくり、学校づくり」-世界に発信- 開催のご案内

2011.05.26

学校安全シンポジウム「安全・安心なまちづくり、学校づくり」-世界に発信- 開催のご案内

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日   時 : 平成23年6月11日(土)12:30~17:00
場   所 : 池田市民文化会館(アゼリアホール)
共   催 : 池田市/池田市市民安全実行委員会/大阪教育大学
後   援 : 文部科学省/大阪府教育委員会/大阪市教育委員会/堺市教育委員会/池田市教育委員会
来場者数 : 約300人

 

次  第

大阪教育大学長挨拶
   長尾彰夫 氏 (大阪教育大学長)
池田市長挨拶
   倉田 薫 氏 (池田市長)
基調講演「学校安全と地域社会」
   講演者 :  齋藤歖能 氏 (東京福祉大学短期大学部長)
学校安全シンポジウム「安全・安心なまちづくり,学校づくり-世界に発信-」
   パネリスト   : 倉田 薫 氏 (池田市長)
             衞藤 隆 氏 (日本子ども家庭総合研究所副所長)
             平田オリザ 氏 (大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授)
             藤田大輔 氏 (学校危機メンタルサポートセンター教授・前大阪教育大学附属池田小学校長)
   コーディネータ : 長尾彰夫 氏 (大阪教育大学長)
閉会挨拶
   成山治彦 氏 (大阪教育大学理事(附属学校・地域連携担当))

 

【司会(曽和)】  それでは、ただいまから平成23年度学校安全シンポジウムを開催させていただきます。
 本日は、お忙しい中、多数お集まりいただきまして、まことにありがとうございます。私、本日の総合司会を務めさせていただきます曽和ローズと申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 では、シンポジウムに入ります前に、事件で尊い命を奪われた8人の子どもたちに哀悼の意を表し、黙禱をささげたいと思います。皆様、恐れ入りますが、ご起立をお願いいたします。
 それでは、黙禱。

(黙 禱)

【司会】 黙禱を終わります。皆様、どうもありがとうございました。どうぞご着席ください。
 それでは、式次第に従いまして進めさせていただきます。
 まず、大阪教育大学学長、長尾彰夫からごあいさつさせていただきます。長尾学長、どうぞよろしくお願いいたします。

 

大阪教育大学長挨拶


【長尾学長】  皆様、本日は、あいにくのお天気になりましたが、学校安全シンポジウムにご参加いただきまして、ありがとうございます。また、基調講演をいただきます齋藤先生はじめパネラーの先生方、本日はどうもありがとうございます。
 さて、附属池田小学校事件から10年を迎えました。附属池田小学校事件には、私たちが受けとめるべき多くの課題があるということは、そのとおりでございます。学校が安全で安心な場所であるということが無残にも打ち砕かれる中で、学校のリスクマネジメントのあり方、あるいは、被害を受けた子どもたちのダメージコントロールのあり方、さまざまな側面から事件後の10年を振り返ってみるときに、私たち大阪教育大学としても受けとめるべき多くの課題があると認識しております。
 その中の1つに、本日のテーマである「安全・安心なまちづくり、学校づくり」という課題があるかと思います。学校が「安全・安心」であるという,ある意味での前提が崩れ去り、では、いかにして安全で安心な学校をつくり出していくのかということの中で、私たちは、池田市とともにひとつは地域の課題として受けとめさせていただく必要があるのではないかと考えてきたわけでございます。そこには幾つかの要因がございますが、池田市はいち早く世界安全都市宣言を打ち出され、安全・安心なまちづくり、そして、子育て支援の池田モデル、すべての子どもを社会全体で支えるという取り組みをしてきておられます。一方、本学は昨年度、世界保健機関(WHO)より、安全な学校づくりの取り組みを進めている学校であるというインターナショナル・セーフ・スクール(ISS)の認証を、日本における第1号として受けることになりました。学校をどのようにして安全で安心のできる場所に打ち立て直していくのかということについて、世界的な視野からも、これまでの取り組みが評価されたということでございます。
 それで、さまざまな教訓を引き出すべきこの10年を節目にいたしまして、「安全・安心なまちづくり、学校づくり-世界に発信-」というテーマでこのシンポジウムを開催させていただきました。10年はあくまでも1つの節目であり、私たちとしてはこのシンポジウムを新しい出発点としたいと思っております。限られた時間ではございますが、基調講演、引き続きシンポジウムの中で、安全で安心な学校づくり、そのための方策を皆様方とともに考えることができればと思っております。
 最後になりましたが、もう一度、本日出席いただきました方、ご協力いただいております方々に感謝申し上げて、あいさつとさせていただきます。本日はどうもありがとうございました。

【司会】  ありがとうございました。
 続きまして、池田市長、倉田薫よりごあいさつさせていただきます。倉田市長、よろしくお願いいたします。

 

池田市長挨拶


【倉田市長】  皆さん、こんにちは。ご紹介いただきました池田市長の倉田薫でございます。
 本日は、池田市並びに池田市市民安全実行委員会、そして大阪教育大学の共催によります学校安全シンポジウムを開催いたしましたところ、足元の悪い中、たくさんご出席をいただきましたことをまずお礼を申し上げたいと思います。
 人生には3つの坂があると言われています。上り坂、下り坂、そして、もう1つの坂がまさかという坂だそうであります。今回の3月11日の東日本大震災、いかに想定外という言葉が使われているかということはご承知のとおりであります。これこそ、まさかの坂を体験したわけであります。しかし、私たちは、10年前にこの教育のまち池田で、そして安全なまち池田でまさかという事件を体験いたしました。まさか、真っ昼間、教育の現場で一瞬にして8人の児童の命が奪われ、そして、13人の児童が傷つくという、あの事件の当事市になったわけであります。
 今回の震災と同じように、池田市内のあらゆるイベントを自粛し、あらゆる会合の冒頭で黙禱をささげ、ご冥福をお祈りし、そして、安全・安心なまちづくりに向かって改めて一歩前進しようと、そういうお誓いをしたわけであります。
 したがって、池田市では、一定のけじめをつけようとの思いで、事件から1カ月後の7月8日に、この池田市民文化会館(アゼリアホール)で池田市民安全大会を開催させていただきました。そして、安全なまちに向かって大きな誓いをお立てしたわけであります。今日は、そのときの誓いの言葉を朗読させていただいて、開会のあいさつとさせていただきたいと思います。


誓いの言葉。

2001年6月8日を 私たちは忘れない

緑豊かな 静かなまちで それは起こった
豊かさを追い求め 平和な時間が流れる中で
幼い8人の命と まちと
人々の心が 一瞬のうちに砕かれた

先人たちが育み 守ってきた
自らを守る組織や慣習のもろさを
私たちの地域社会がはらむ無防備さを
幼い8人の犠牲に思い知らされることになった

このまちで再び 悲劇を許してはならない
安全な社会を築き上げる大切さを
改めて心に銘じなければならない

私たちは ここに誓う

暴力、犯罪、交通事故、災害などあらゆる惨禍を未然に防ぎ
地域の安全を守っていくために努力することを
安心して住める社会の大切さを
多くの人に訴えていくことを

2001年7月8日
池田市民安全大会


 10年前の附属池田小学校事件の1カ月後に10万池田市民が心を1つにして、改めて池田市が安全なまちである、そう皆さん方に認めていただけるまちにするように、この8人の天使の犠牲を無にすることのないように新しいスタートを誓ったのが2001年7月8日であります。そして、それを祈念をする碑を、附属池田小学校のすぐ近くにあります水月公園に建てさせていただきました。毎年8月に池田市は市民安全大会を開催し、子どもたちと一緒にこの誓いの言葉を宣言させていただいているところであります。
 10年という大きな節を迎えました。今日、このようなシンポジウムが開催されるわけでありますけれども、この10年を1つの節として、また新たに安全な学校づくり、安全な地域社会づくり、安全な池田市に向かって大きく前進する節目の日となりますように心から祈念申し上げて、開会のごあいさつといたします。本日はまことにありがとうございます。

【司会】  ありがとうございました。
 それでは、ただいまより第1部の講演準備をいたします。皆様、恐れ入りますが、そのまま、しばらくお待ちください。

 

基調講演「学校安全と地域社会」


【司会】 皆様、お待たせいたしました。それでは、ただいまより、東京福祉大学短期大学部長 齋藤歖能様より「学校安全と地域社会」と題してご講演いただきます。
 講師のご紹介をさせていただきます。齋藤先生は、東京大学大学院教育学研究科修士課程を修了後、長年、横浜国立大学で教授を務められ、退官後は横浜国立大学名誉教授となられました。ほかにも、内閣府中央交通安全対策会議専門委員、文部科学省中央教育審議会委員(スポーツ・青少年分科会)などを歴任され、現在は東京福祉大学短期大学部長としてご活躍でいらっしゃいます。
 それでは、齋藤先生のご講演です。先生、よろしくお願いいたします。

【齋藤氏】  皆さん、こんにちは。附属池田小学校での殺傷事件が発生してから、10年が過ぎました。事件でお亡くなりになりました8名の児童の皆様に、心よりご冥福をお祈りいたします。
 今日は「学校安全と地域社会」というテーマでありますが、学校安全全般につきまして話をするとともに、戦後から現在まで66年間たちましたが、その中で学校安全がどのように変遷してきたのか、また、現在の学校安全はどのようになっているのか、あるいは、どのような必要性があるのか。また、学校と地域社会との連携が、欠くことのできない重要な問題であると思っております。それらの点につきまして、これから話をしていきたいと思っております。
 日常生活の中で健康と安全は、私たち人間だれしもの願いであると思います。健康を害することによって疾病となり、その疾病が重篤になりますと、やがて死につながるからであります。また、事故が発生して災害となり、その災害が大きくなりますと、やはり死に結びつきます。つまり、健康も安全も、害することによって最終的には死に結びつくことになります。そのため、私たちが生活していくためにはこの健康と安全が最も重要であると言うことができるわけです。
 しかし、家庭においても学校においても社会においても、日常生活というものを振り返ってみますと、健康と安全ほど軽視しているものはないのではないかと言っても過言ではありません。例えば家庭の中でどなたかが重い病気にかかり、病院に入院するようになって初めて、家庭での健康教育あるいは健康管理を徹底するようになります。また、学校におきましても、自分の学校で交通事故が発生して、児童が犠牲になってから初めて交通安全教育あるいは交通安全管理を徹底するようになると思います。つまり、このように、学校や家庭における健康と安全に対する考え方は、病気や事故が発生してから後の対策であります。
 学校の安全を確保するためには、事故が発生する前の予防対策、つまり、事故が発生する前に危険を早期発見をして、早期除去することが非常に重要になると言えます。尊い生命を犠牲にしてからの安全対策では遅過ぎるのだということです。
 また、健康と安全に関する事は非常に風化しやすいと言えます。過去に発生した病気や事故は、10年、20年と年月が過ぎるに従いまして忘れ去られていきます。学校での健康・安全の例について見てみますと、昭和60年に日本で初めてエイズ患者が発見されましが、当時の文部省では、これは大変だということで、学校教育でエイズに関する教育と指導を徹底するようにと指示が出されました。そして、当時の文部省からエイズ指導の手引書が作成されまして、小学校、中学校、高等学校に配布されました。また、保健の教科書の中にはエイズの項目を設けまして、教育と指導をしてきております。しかし、二十数年たった現在を考えてみますと、そのエイズ教育が低調になってきているということを聞いております。しかし、国の統計を見てみますと、HIVの感染者やエイズの患者は年々増加しております。しかも、若者の感染者の増加が顕著であるとの報告が出されております。その現実を見ますと、やはり風化させることなく、エイズ教育は学校教育の中で徹底していくべきであると思います。
 また、平成7年には阪神・淡路大震災が発生いたしました。そして、その震災後3、4年は、国を挙げて各学校に災害時の備蓄倉庫がつくられました。また、学校施設の耐震改修工事も積極的に行われ、安全対策がなされてきました。しかし、近年、各学校に出向いて話を聞いてみますと、その予算が大幅に削減されて、まだまだ必要であるはずの学校の耐震改修工事が行われなくなっているという話を聞いております。やはり阪神・淡路大震災が風化してきているのではないかという気がいたします。「災害は忘れたころにやってくる」という名言がありますが、災害は忘れ去られて過去にしないことが大切なのだということを、皆さん、考えておかなければいけないのではないかと思います。そして、その大震災の後16年たった今年の3月には、国難とも言える東日本大震災が発生しております。
 このように、風化ということが、学校安全を阻害する大きな要因になっているということが言えると思います。やはり、風化させないことが非常に重要なのではないかと私は思います。
 さて、学校安全が教育課程の中に位置づけられたのは、戦後の新しい教育になってからであります。戦後、学校教育法が制定されたのは昭和22年です。その学校教育法には小学校の教育目標が第1項から第10項まで示されています。そして、その第8項に、「健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養い、心身の調和的発達を図ること」と、健康安全に関する大きな目標が示されています。同様に、中学校、高等学校の教育目標に、小学校の教育目標をもとにしてということが書いてありますので、中学校、高校におきましても健康、安全は重要な目標になっているはずであります。
 つまり、学校安全は、この教育目標に沿って児童・生徒の安全な生活を送るために必要な習慣を養っていくことが必要であります。また、生涯を通じて健康で安全な生活を送ることの資質や能力を身につけさせていくことも、大きなねらいであると言えると思います。
 この学校安全の目標を達成するために、現在、学校での安全教育が展開しているわけです。例えば、小学校では体育、中学校では保健体育、高校では科目保健、あるいは、関連教科の図工、理科をはじめとして、道徳や特別活動、あるいは総合的な学習の時間など、学校教育活動全体を通して、計画的に指導が行われていることになります。
 それでは、次に、学校安全が戦後どのように変わってきたのか、その変遷について見てみたいと思います。
 学校安全の重要性が指摘されまして、児童・生徒に安全教育、安全指導が実際に行われるようになりましたのは、昭和20年の後半からであります。昭和20年の後半から30年の前半にかけて、学校管理下における事故災害が多発しました。2、3の例を挙げてみますと、高校生の乗った通学列車が衝突して、多くの通学途上の生徒が死傷したという事故があります。また、湖に遠足に来た中学生の乗った遊覧船が転覆して、多くの中学生が死傷したという事故もあります。さらに、連絡船が濃霧のために衝突して、そのときに連絡船に乗っていた、修学旅行へ行く途上の児童が多数死傷ったという事故もあります。あるいは、女子高校の臨海実習で水泳中の女子生徒が高波にのまれて多くの犠牲者を出したという例もございます。そして、これらの事例に類似した多くの学校管理下の事故が発生しております。
 そのため、国では昭和34年に日本学校安全会法を制定いたしました。その中に、日本学校安全会を設置したわけであります。これは、学校の先生方であればどなたもご存じと思いますが、現在の独立行政法人日本スポーツ振興センターを設置したわけであります。そして、この日本学校安全会には2つの業務があります。1つは、学校安全に関する普及・充実を図っていくという業務であります。つまり、学校安全に関する研究、講習会、研修会、あるいは学校安全に関する出版事業、これらを業務として、全国の小・中・高等学校に対して学校安全の普及を図っていく事業であります。もう1つは、学校管理下の災害に関する共済給付を行う事業があります。現在では先生方も各学校でよく利用していると思いますが、学校管理下の事故が発生した場合に医療費の総額が5,000円以上のものに対して災害給付を行うという事業です。この2つの業務を中心として学校安全を推進する活動を行うことになりました。
 このように、昭和20年代、30年代の学校安全は、家庭生活の安全、学校、学校管理下の安全、つまり、生活安全を中心として展開されてきたということになります。
 さらに、昭和40年から50年になりますと、学校安全は交通安全に変わってきました。昭和36、7年ごろになりますと、国内での自動車の生産が開始されてきました。そして、多くの国産車が日本の町の中を走るようになってきました。資料の3ページをごらんください。昭和41年ごろになりますと、自動車が急増したのに対しまして、交通安全施設や設備の充実が追いつくことができず、そのため、この年の交通事故による負傷者は約52万人、死者は約1万4,000人であります。このように、交通事故が非常に激増してきたわけであります。そして、この頃から多くの児童・生徒が登下校中に交通事故に遭うようになりまして、交通事故の犠牲者になったことになります。
 このような事態に直面して、文部省では昭和42年に「交通安全指導の手引」を初めて作成しました。そして、全国の小学校、中学校、高等学校に配布いたしまして、交通安全教育を積極的に展開するようになったわけです。さらに、その年には学校の交通安全指導として、特設時間を設けて指導するよう指示が出されました。つまり、各教科等のほかに特別に時間を設けて交通安全指導をすることになったわけであります。
 しかし、昭和45年には負傷者が約98万人、死者が1万6,765人という、戦後最悪の交通事故が発生しました。国は、これではいけないということで、交通安全対策を3つ掲げました。1つは、交通安全教育の推進であります。1つは、交通安全施設設備の整備であります。1つは、交通取締まりの強化であります。この3本柱で一時は昭和45年の約半分に近い数値まで交通事故は激減しました。しかし、図をごらんになってもおわかりになりますように、その後また、徐々に増加の傾向を示してきたことになります。
 このように、交通事故の激増によりまして、昭和40年代、50年代の学校安全は交通安全が中心であったことになります。そして、学校安全の領域は、従前の生活安全と交通安全の2領域となって学校で指導するようになりました。また、世論から学校における交通安全の必要性が強く叫ばれまして、文部省は昭和47年に「小学校安全指導の手引」、昭和50年に「中学校安全指導の手引」を作成しました。そして、この手引の内容を見ますと、生活安全と交通安全の2領域から構成された手引になっています。このようにして、学校安全の指導は生活安全と交通安全が重視されたものとなったわけであります。
 資料の4ページをごらんいただきたいと思います。その後、昭和58年に青森県、秋田県を中心に日本海中部地震が発生しました。5月の下旬でしたが、ちょうど海辺に遠足に来ていた児童が津波により、多くの犠牲者を出しました。そのため、学校安全の領域の中に災害安全も取り入れるべきだという議論が多く出されました。検討された結果、平成5年に、3回目の改訂として、小学校及び中学校の安全指導の手引が作成されました。そのときから学校安全の中に災害安全の領域を加えて、生活安全、交通安全、災害安全が学校安全の3領域になったことになります。
 そして、その2年後、平成7年に阪神・淡路大震災が発生し、学校における災害安全の重要性が指摘され、認識されたわけであります。その後、16年が経過した今年の3月、東日本大地震が発生しました。学校における災害安全に関する指導はやはり重要であることが再認識され、実証されたことで非常に意味があると思っています。今までは比較的軽視されていた災害安全も学校安全の教育と指導の中で重視されていく領域になるものと思います。
 さらに、平成11年以降現在までを見ますと、不審者対策、つまり防犯安全が学校安全の中心になってきております。平成11年以後に学校の中で大きな事件が2件発生しております。1つは、平成11年に京都市の小学校で発生した児童殺害事件であります。この事件は、学校の敷地内に不審者が侵入して、グラウンドで遊んでいる児童を殺傷した非常に衝撃的な事件でありました。これが学校の施設内で最初に殺害が発生した事件ではないかと私は思っております。さらに、もう1つは、平成13年に発生しました、このたびの10年目のシンポジウムをしております附属池田小学校での児童殺害事件であります。この事件では、不審者が校舎の中に侵入して多くの児童・生徒が殺害されたことであり、社会を震撼させる非常にショックな事件でありました。それ以来、不審者に対する安全――私自身は防犯安全と呼んでおりますが、この防犯安全が中心となって現在まで行われてきていると思います。
 ちょうどその年、平成13年12月に指導資料「『生きる力』をはぐくむ学校での安全教育」を文部科学省が発刊いたしました。これは、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、養護学校等すべての学校において指導の資料となるものであります。その中では、不審者対策、つまり防犯安全が生活安全の内容の一部に入っています。しかし、生活安全は事故、災害であります。防犯安全は事件、被害であります。そのことを考えてみますと、この2つの内容は一つ一つの別の領域にしてもいいのではないかと思っています。つまり、生活安全と防犯安全という領域にしていいのではないかと私自身は思っております。
 このように、学校安全の変遷を見てみますと、戦後66年の間に、最初は生活安全1つであったものから交通安全、災害安全、そして防犯安全という4つの領域に拡大されてきておりますし、その指導の内容は非常に広範なものになってきています。しかも、これは学校教育の中でますます重要な位置を占めるようにならなければならないと私自身は思っております。

 次に、学校安全の現状について、また、現在、学校安全の必要性について、話をしてみたいと思います。
 まず、今話をしました4つの領域の学校安全、これは現在においても非常に重要であると言えると思います。資料の2ページをごらんください。学校管理下における災害共済給付というグラフが出ております。日本学校安全会が昭和35年に設立されて、36年から学校管理下で災害をうけた者に対する給付が開始されました。最初の年は36、7万件台でありましたが、その後毎年、右肩上がりで上昇しています。そして、大きく減少した年はありません。この1年、やっと少し減少の傾向は見られますが、この数十年の間、1度も大きく減少したことはありません。
 その学校安全でありますが、平成21年度の学校管理下における事故災害の給付状況と発生状況について、下の表を見ていただきたいと思います。これは、幼児、児童・生徒を含めまして年間204万件、膨大な数の事故が学校管理下で発生しているということです。そして、この件数といいますのは、学校管理下の災害で医療費の総額が5,000円以上のものに給付した件数、これが204万件なのです。そのほか、学校で簡単な治療を要する件数は、この数倍はあるということを考えてみますと、生活安全は、やはり現在の学校安全においても指導すべき重要な領域であるということが言えます。
 ちなみに、死亡の欄を見てみますと、平成21年度に学校管理下で死亡した児童・生徒は68名であります。この数年前までは100人以上、多いときは150人ぐらい1年間で死亡していたのですが、最近はやや減少の傾向になっています。しかし、減少したと言いましても、学校管理下の災害で68名亡くなっていることは大変なことであると思います。以上の点から、現在も生活安全は学校安全の重要な柱にしなければいけないと私は思っております。
 次に、資料の3ページをごらんいただきたいと思います。交通事故について見ますと、交通事故の死者は、近年、非常に減少してきております。平成21年には4,914人と、戦後最低の記録になっております。昭和42年の戦後のピークのときは死者が1万6,765人でありました。それから比べますとはるかに低い数値になっています。しかし、負傷者の人数を見ますと、約91万人であります。戦後のピーク時の98万人とそれほど差はありません。そのことを考えてみますと、やはり交通安全も現在の学校安全にとって必要な領域ではないかと思います。
 特に中学生以下の交通事故によって死亡した者――幼児、小学生、中学生でありますが、平成21年には111名であります。16歳から19歳、いわゆる高校生の交通事故の犠牲になった者は小学生の倍以上、227名であります。つまり、1年間で338名の児童・生徒が交通事故の犠牲者になっていることを考えてみますと、やはり、今後も交通事故について学校で教育と管理をしていくことが非常に重要であることが認識されると思います。
 また、91万人の負傷者は、全員が100%回復したということではありません。中には、車いすの生活になる者、あるいは、寝たきりの生活をするようになる者、機能が回復しない児童・生徒も出てくるわけであります。その現状を考えてみますと、やはり交通安全教育もこれからの学校安全の中で重要な領域の柱の1つであると言えるかと思います。
 次に、災害安全の領域であります。資料の4ページ、5ページをごらんいただきたいと思います。先ほど言いましたように、日本海中部地震以後、学校安全の中に災害安全の領域を設けるようになりました。そして、2年後の平成7年には阪神・淡路大震災が発生し、甚大な被害と非常に多くの犠牲者を出しました。このときには約300人以上の児童・生徒が犠牲になったという統計が出ております。また、その後、本年3月には東日本大地震が発生して、地震と津波により非常に多くの犠牲者と甚大な被害を出しております。やはり、災害安全の領域も学校安全の中では不可欠と言える重要な領域であると言えます。
 資料の6ページをごらんいただきたいと思います。次に、防犯安全の領域であります。附属池田小学校の殺傷事件以後、現在も学校安全は、防犯安全、つまり不審者対策がどこの学校でも中心になっております。そして、不審者に対する安全教育、安全管理の徹底が叫ばれて10年になりました。しかし、6ページの警察庁の統計を見てもおわかりになりますように、13歳未満の子どもの被害件数は、この10年間を見てみましても毎年3万件台の大台を示しており決して少なくなっておりません。また、現在でも毎年、不審者による事件・事故が発生しています。先日も、高校生が乗ったバスに不審者が侵入し、多くの生徒が傷害を負った事件が発生しています。このことを考えても、やはり不審者対策、防犯安全も今後の学校安全の大きな領域の1つであることが言えると思います。
 このように、学校安全の領域は戦後66年の間に生活安全、交通安全、災害安全、防犯安全の4領域となり幅広くなりました。しかし、児童生徒の安全を確保することは、生命を確保することであり学校教育の中でやらざるを得ない重要な教育であることが言えると思います。学校基本法を見ましても、教育は知的教育をすることとは一言も書かれていません。心身ともに健康な国民の育成を目指して教育をしなければならないと書かれています。つまり、健康と安全が非常に重要であることが示されています。そのことを考えてみましても、この4つの領域は、学校教育に欠かすことのできない重要な領域であると言えます。
 さらに、児童・生徒の事件や事故の現状から、平成20年に学校保健法が大幅に改正されました。先生方もご存じと思います。法律名が改定され、学校保健法から安全が加わり、学校保健安全法に変わりました。それまでは学校保健、つまり健康に関する内容が中心でありましたが、新しい法律の中に学校安全管理について国や地方公共団体、学校の責任が明記されています。また、学校安全のあり方についての記述は、以前の学校保健法の中には数行しかありませんでしたが、新しい学校保健安全法にはかなり多くの内容が記述されています。つまり、学校安全がますます学校教育の中で重要な位置づけがされてきて、欠くことのできない大きな教育になってきているといえます。

 今述べてきました学校安全の4領域を積極的に展開するためには、家庭、地域社会の連携と協力、そして、その取り組みが非常に重要になると私は思っております。学校教育もそうだと思います。学校教育は学校だけで成立するものではありません。家庭、地域社会との連携をとることによって初めて学校教育の成果をあげることができるものと思います。学校安全も同じであります。学校だけで学校安全を確保することはできません。学校と家庭、地域社会の連携と協力によりまして初めて成果を上げることができるのです。
 従来の学校安全は学校中心の学校安全でありました。そして、附属池田小学校事件が発生して初めて、学校と地域社会の連携が大切であることが強く言われて、各学校での取り組みの中に、地域社会との連携がどこの学校でも入るようになりました。そのため不審者対策に対して大きな成果を上げることができるようになったと言えます。
 学校と家庭、地域社会の連携としては4つの場合があると思っています。第1は、学校と家庭、PTAとの連携、第2は、学校と近隣の学校との連携、第3は、学校と関係機関、関係団体との連携、第4は、学校と地域社会の人々との連携です。この4つの地域社会の連携では、いずれも密接な連絡体制づくりをしておくことが大切です。
 地域社会との連携は、この不審者の事件が発生してから全国の各学校で始まりましたが、多種多様であります。その活動の取組みについて実践事例をあげてみます。
 その中で、第1は、学校と最も身近な関係にあります家庭とPTAとの関係について話をいたします。学校の先生方は、実際に連携をとっておりますので、おわかりと思いますが、もう一度、確認という意味で簡単に説明をしていきたいと思います。
 まず、家庭、PTAとの取り組みとしては、1つ目はPTAと学校、家庭と学校との連絡体制づくりをすることが重要であります。不審者の発見、あるいは事件・事故が発生した場合に迅速に正確に危機に対する対応ができるような組織づくりがまず第一であるといえます。
 2つ目は、子どもたちが生活する場、あるいは学校への通学路の安全点検を毎年実施することが重要であり、そうした取り組みをしている学校が多くなってきました。これには、子どもと保護者、子ども会の親と子ども、子どもと学校の先生、子どもと地域の人々が一体となって点検を実施してお互いに危険箇所を知り、その結果を学校に報告することです。そして、危険箇所につきましては、関係機関・団体と連携をして改善していくことが大切です。
 3つ目には、安全マップづくりです。学区内のどこが危険で、どこが安全なのか安全を確認するための安全マップづくりが多くなっています。これも前と同じように、子どもと保護者、子どもと子ども会の親、あるいは、子どもと先生が一体となって通学路の点検をし、安全マップを作成することです。この利点としましては、子ども、それから家庭、学校の3者での危険箇所を共有することができることです。危険箇所を共有することができることは非常に効果的な安全対策であると言えます。
 4つ目は、学校あるいはPTAによります広報紙あるいはニュースレターを介して、保護者への啓蒙、あるいは、保護者の児童・生徒への安全意識の高揚が不可欠であると言えます。この方法はどこの学校でも実践しておりますが、安全に関する内容は少ないように思います。児童・生徒の生命に関する重要なことですので、たよりなどの中には必ず安全という箇所を多く入れて意識の高揚を図っていただきたいと思います。
 5つ目は、家庭あるいはPTAによります巡視活動があります。多くの活動は、PTAによります登下校時の巡視活動や巡回活動がよく見られます。どこの学校でも実践していると思います。私は多くの学校を訪問いたしますが、どこの学校でもこの巡視活動によって児童が保護されていると言えます。そのほかには、スクールガードリーダーによる巡回活動、あるいは、自転車に防犯ステッカーを貼ったパトロール活動などがあります。例えば買い物に行く途中に自転車にステッカーをつけ不審者に対する行動意欲の低下を図っていくことが非常に重要になってくると思います。あるいは、定年退職者にお願いをして、朝晩巡回活動をする方法もあります。どれが良い方法と言うわけではありませんが、学校や地域の実態に応じて、あるいは、学校の必要性に応じて最善な方法を取り上げていくことが重要になると言えます。
 第2は、近隣学校との連携であります。近隣学校としましては、幼稚園、保育園、小学校、中学校、高等学校などの学校との連携と協力そして取り組みをしていくことが大切です。近隣の学校とは、日ごろから学校行事等で交流が行われていると思います。また、これらの学校は、どこの学校も学校安全に関心の深いことから、協力体制を容易につくりやすいということが言えます。そして、お互いの学校同士の協力体制をつくり上げていくことが必要になります。
 この学校での取り組みで最も重要なことは、学校安全連絡協議会を組織して、お互いに連絡をとり合うことが重要です。つまり不審者の発見や、事件・事故が発生した場合の連絡体制を確認をすることと、もう1つは、その連絡体制を再構築していくという、毎年その2点から話し合いをし、確認していく必要があります。
 次に、各種学校での学校安全の取り組みがどのようになっているのかを話し合う場としても重要です。つまり、幼稚園、小学校、中学校、高等学校の発達段階により学校安全の考え方がかなり違っております。その共通の理解を持つという場としては非常に有効な場と思っています。
 また、事件発生後の協力体制、これも重要です。都会の学校は、学校の規模が非常に小さくなっております。小学校ですと、以前は5クラスあったものが、現在は2クラス程度になり規模が非常に小さくなっています。事件が発生しますと、先生が少ないため、対応に追われて十分な対策がとれないので近隣の学校との協力体制をつくって、事件校に対する応援をしていく態勢が必要です。まだ十分な連絡体制がとれていない学校が多くありますので、組織づくりと連絡体制づくりを早くしておく必要があります。
 さらに、関係機関や団体との協力が必要です。特に、警察と消防との連携を欠かすことができません。校内に不審者が侵入した場合や、事件・事故が発生した場合には、迅速に、しかも正確に応援と協力を求める連絡体制が警察や消防の関係機関で構築されていなければならないといえます。
 第3は、学校と関係機関と関係団体との連携です。
 学校では、防犯教室あるいは交通安全教室、防犯訓練、避難訓練など、学校安全に関する行事がいろいろありますが、訓練の際に専門家の立場から関係機関あるいは関係団体の人々の指導を受けることが大切です。
 専門家の指導の必要性は、教職員あるいは保護者を対象とした講習会や講演会、研修会などの中でかなりあります。その際に専門家を指導者あるいは講師として招いて、学校安全の対策・方法について指導してもらうことが不可欠なことです。通学路や学校周辺での警察官による巡回活動、これも重要な活動であります。例えば、ボランティア活動の人たちに子どもの登下校の安全を確保してもらうだけでなく、警察官と一体になることによって子どもの安全は相乗効果となって高まってくると言えます。以上の点からも、関係機関や団体との連携を高めていくことの必要性が理解できます。
 第4は、地域の人々との連携であります。地域の人々との取り組みは、大変であると思います。しかし、安全・安心な学校づくりをするためには、地域の人々の協力を欠かすことはできず、この協力があって初めて子どもの安全が確保されることができるのです。しかも、子どもたちの生活を見ますと、学校生活以外は、家庭、地域社会での生活が大部分です。そう考えたとき、やはり地域の人々との連携をとって、協力してもらい、多様な取り組みをして子どもの安全を確保していくことが非常に重要になります。
 例えば、先ほど言いましたように、地域の人々が不審者を発見したら、連絡体制に従ってスムーズに、正確に連携がとれる体制づくりをしておかなければならないと言えます。次には、「子ども110番」の取組みが全国各地ででき上がってきております。一般の通学路、あるいは、子どもたちの遊び場など生活する場面の中で危険な箇所の近くに子ども110番の家をお願いして、子どもたちの安全を確保することも非常に効果的です。さらに、各商店に安全モニターをお願いする、そういう取り組みも多くなってきています。つまり、八百屋さんやお魚屋さんなどは、日常生活でよく活用する商店に来る人、その店の前を通る人に対して非常に関心を持って見ておりますので、商店の人たちにモニターになってもらい、情報を収集することも非常に効果的であると言えます。さらに、地域のボランティアの人々に応援をしてもらい、自転車に防犯ステッカーをつけて、町の中を走るときに監視をしていただくことも非常に効果的な方法であるとの報告を受けております。また、地域社会の中には地域の中に職業を持ち、活動をしている人がいます。例えば郵便事業会社の人たち、宅配便の人たち、新聞配達をする人たち。このように日常生活の中で生活道路を常に利用して活動している人たちに応援を求める体制もよい方法の1つです。中には出前をするおそば屋さん、すし屋さんに応援を依頼している学校もあります。
 しかし、家庭、学校、関係機関、地域社会との中で必要な人々すべてにお願いすることは、困難なことと思います。各学校の実態に応じて、各学校の必要性に応じて、これらの4つの領域の中からどのような協力の取り組みをしていけばよいかを検討する必要があります。そのためには、ただ単に学校とPTA、学校と近隣学校、学校と関係機関・関係団体、学校と地域社会という縦の連携でお願いしても効果が上がらないと思います。私は、横の効果、つまり、学校とPTA、近隣学校、関係機関・関係団体、地域社会が一体となった共通の協力体制がなければ、地域との協力はゼロに等しくなるのではないかという気がいたします。つまり、地域の協力体制は地域の人たちが一堂に集まって、お互いに学校安全の協力体制の必要性の共通理解を持つことが非常に重要になってくると思います。
 例えば、私が実際に指導に行っている学校では、平成14年から9年間、年1回から2回、学校安全連絡協議会を開催しております。その中でどのような内容を検討するかといいますと、年度によって連絡変更する場合がありますので1つは連絡体制の確認をすることです。つぎに、学校での昨年度の実践報告と本年度の取り組みの報告をします。この発表には幼稚園・保育園、小学校、中学校、高等学校の各学校が発表します。さらに、関係機関や団体から教育委員会、警察、消防、郵便事業会社などからの報告と近隣の自治会や町内会からの児童・生徒の生活実態報告を行っています。この安全連絡協議会への参加は幼稚園3園、保育園3園、小学校4校、中学校1校、高等学校1校の管理職、学校安全担当者、PTA役員の人々です。地域社会の参加者は安全担当の管理職や自治会・町内会の会長さんにお願いしています。最後に、学校安全の現状と課題について話し合いをして成果をあげるようにしています。今年で9年になりますが1件の事件・事故も発生していませんし、全員が以前より安全に対する意識が高まり効果をあげているのがわかります。学校関係者や地域の人々が一堂に会して横の連携を図りながらお互いに共通理解をもち安全確保をしていくことが重要であり、効果をあげていくことがよくわかります。このような相互の関連を図る取組みを積極的に取り入れていくことが、今後の学校安全を高めていくことになると思います。
 2つ目は、地域の人々と積極的な交流をしていくことが重要です。例えば、先生方や児童・生徒が地域の催し物、地域の奉仕活動、あるいは地域の行事に参加して地域の人々と一緒になって交流を図る学校が多くなっています。先生・児童生徒と地域の人々との交流によって相互が知り合うことで安全を確保することが容易になり大きな効果をあげることができます。
 また、逆に、学校行事に定期的に地域の人々例えば学校近隣の自治会、町内会の人々などを招いて交流をすることも相互が理解する上で重要であるといえます。学校行事の中には運動会や音楽会があり、あるいは公開授業などもあります。その機会を利用して学校を理解してもらい、お互いに心の交流を図っていくことです。これも欠かすことのできない大きな地域社会との連携の1つであります。また、高齢者を学校給食に招待する、あるいは、老人ホームを訪問して心の交流を持つことによって、地域社会との有機的な連携体制のネットワークの構築ができます。この連携体制のネットワークの構築により相乗的な効果として学校の安全づくりに大きく役立つものと思います。
 地域社会の人々との交流を通して、あるいは触れ合いを通して豊かな心と安心・安全な町づくりをしていくことがこれからの学校安全づくりとしては非常に重要な方策になるのではないのかと思っております。
 時間も、あと少なくなってきました。早口で申しわけございません。
 これからの学校安全づくりの進め方について幾つか考えてみたいと思います。
 1つめは、学校安全は安全教育と安全管理一体となって推進することです。学校安全は、先ほども言いましたが、学校管理だけ徹底しても、また安全教育だけを徹底しても成果をあげることはできません。学校安全は安全教育、安全管理を自動車の両輪のように一体となり推進していくことによって初めて学校安全の成果をあげることができるのです。したがって、偏りのない両者からの学校安全づくりを推進することが求められます。
 2つ目は、児童・生徒に対して学校で安全教育として知識中心の教育をしていきます。しかし、ただ単に安全に関する知的な教育だけをして、100点を取れてもその知識が日常生活の実践の場で何も活用できなかったならば、この知的教育はゼロ点であります。安全は、安全に関する知的教育を受けて、その知識が日常生活で実践できて初めて教育効果が上がったということが言えます。そのためには知的理解と実践を一体化する安全の教育と指導にあたっていただきたいと思います。
 例えば、多くの高校生が自動車を運転したり、その車に同乗したりして交通事故で亡くなっていると先程話をしました。それはなぜでしょう。彼らは、運転に関する知的理解は教習所ですべて習っているはずです。ここでは何キロ以内で走行しなければいけない、法規的にはこう行動しなければいけないなどはすべて知っているわけです。しかし、若者特有の社会の規範、道徳、社会性に対して反社会的な行動をとり自信過剰になって正しい実践ができないため交通事故が多くなっているのです。つまり、安全に関する知識が幾らあっても実践ができなければ、その安全教育は無であると言えます。
 3つ目は今後安全教育を推進する場合は、積極的な安全教育を展開していただきたいと思います。従来の安全教育は交通が激しいのでここで遊んではだめ、ここで野球をしてはだめなど危険に対する消極的な行動規制や禁止の安全教育が多かったように思います。これからの安全教育は知的理解とともに生命に関係のない小さな危険であれば積極的に経験をさせて理論と実践の伴った安全教育を展開していくことが大切と思います。こえからの安全教育では、自分自身で危険を見つけ出す危険予測能力と自分自身で危険を判断する危険回避能力を高めることです。つまり、自分自身で危険に気づき、安全な方法を判断し、その危険を安全な方向に解決していくという問題解決法の手法によって安全教育を実践していくことが重要であると思います。
 それと、4つ目は、今後の学校安全は地域社会の連携が不可欠であることを再認識していただきたいと思います。学校の情報や施設開放などを含めた地域に開かれた学校づくりがますます重要になると思います。開かれた学校づくりの観点から、学校と家庭、地域の関係機関・団体など、そして学校相互間の連携を密にして、実際に効果のある組織活動を展開していかなければなりません。さらに、常に最新情報が活用されますように、ネットワークづくりの整備と適切な利用ができるようにしておくことが大切です。一方、児童生徒や先生方は地域で開催される安全行動などには積極的に参加して学校と地域の相互の信頼のある人間関係を作ることも大切です。 
最後に、先ほど言いました教育基本法の中にありますように、豊かな心とたくましい体をつくることのできる積極的な安全教育、これが目指すべき安全教育ではないのかと私は思います。
 時間がちょうど来てしまいましたので、先生方のお役に立てるかどうかわかりませんが、学校安全について全体を通して、今日、話をさせていただきました。これからのシンポジウムでは、また、逆に、いろいろな危険問題についての話もあると思いますが、まず、学校安全、そして地域社会についての話をさせていただきました。ありがとうございました。(拍手)

【司会】  齋藤歖能先生、大変ありがとうございました。皆様、もう一度、先生に大きな拍手をお送りください。ありがとうございました。(拍手)
 それでは、ただいまより15分間の休憩をいただきます。今、ちょうど3時ですので、3時15分から次のシンポジウムを始めさせていただきます。なお、シンポジウム終了後にアンケートを回収いたしますので、皆様、今回のシンポジウムの感想などをご記入いただきまして、ご協力のほどをよろしくお願いいたします。
 それでは、15分間の休憩です。今の間にお手洗いなどをお済ませくださいませ。よろしくお願いいたします。

(休 憩)

 

学校安全シンポジウム「安全・安心なまちづくり、学校づくり」―世界に発信―

【司会】  それでは、皆様、お待たせいたしました。ただいまより、第2部のパネルディスカッションに入らせていただきたいと思います。
 第2部は、大阪教育大学学長、長尾彰夫がコーディネータを務めます。それでは、どうぞよろしくお願いいたします。

【長尾学長】  先ほどの齋藤先生の基調講演を受けまして、今からパネルディスカッションをさせていただきます。テーマは「安全・安心なまちづくり、学校づくり―世界に発信―」ということでございます。
 お手元のプログラムをご覧いただければと思います。簡単ではございますが、パネリストのプロフィールを紹介させていただいております。
まず、倉田市長でございます。附属池田小学校事件の当初からいろいろご尽力いただいております。パネラーのトップバッターでございます。
 次に、衞藤先生は、プロフィールに書いてございますように、日本子ども家庭総合研究所、とりわけお医者さんの立場から、学校保健あるいは小児医学との関係でさまざまな学校安全の立場にご発言いただけるかと思っております。
 3番目のパネラーは平田オリザ先生でございます。著名な演出家、劇作家でございます。現在は大阪大学の教授でございますけれども、特にこのシンポジウムとの関係で申しますと、演劇のワークショップをコアとした地域防犯ネットワークの構築など、さまざまな防犯啓発劇を構想されています。
 4番目は藤田大輔、前大阪教育大学附属池田小学校長でございます。インターナショナル・セーフ・スクールの認証におきましては、大きなご活躍、ご尽力いただきました。学校の校長という立場も踏まえてご発言いただけるかと思います。
 ご紹介は以上でございます。先ほどいただきました基調提案、あるいは、本日のテーマでございます安全・安心まちづくり、学校づくりということにつきまして、それぞれの立場から15分程度、ご自由にご発言をいただいて、その後、かみ合いを少し工夫しながら進めていきたいと思っております。
 それでは、トップバッターということで、倉田市長の方からよろしくお願いいたします。

【倉田市長】  皆様、改めまして、こんにちは。池田市長の倉田薫でございます。
 池田市における安全なまちづくり、あるいは安全な学校づくりに関する取り組みについて、まず、時系列を追ってご紹介を申し上げ、後の意見交換の参考になればと思っております。
 私が市長に就任しましたのは平成7年5月のことであります。安全、文化、福祉、活力、この4本柱がスタートのときの倉田市政の大きな柱だと位置付けて就任いたしました。もとより、そのときの安全なまち池田というのは、平成7年1月17日の阪神・淡路大震災を受けまして、災害を防ぐことはできないけれども、災害が起こったときの被害を小さくすることはできるはずだと、そういった意味では、いわゆる災害に強いまちづくりの安全というのがキーワードであったわけであります。
 それから2期目に入りまして、安全の中でも、やっぱり子どもたちの見守り、あるいは、災害弱者と言われている方々に対する見守り、まちの安全、そういった意味で、もっと安全ということを柱にした市民安全条例が要るのではないかという訴えかけが市民の皆様方からもあったわけでして、平成12年3月定例議会に提案させていただいて、池田市市民安全条例というものが成立いたしました。
 この背景の1つに、実は池田警察署の当時の署長とお話ししているときに、その署長がこうおっしゃったのですね。「市長、10万市民の治安を守る最高責任者は、市長、あなたですよ」、こういう指摘があったのです。それまでは、私としては福祉の向上、あるいは、教育のまちづくり、そういったものは市長の仕事でありますけれども、治安という意味ではやっぱり警察に頼る部分が大きいのではないかと思っておりました。その治安を守る最前線にいる大阪府の池田警察署長が、「いや、違いますよ。10万市民の治安を守る、安全を守る最高責任者は、市長、あんただ」と、こうおっしゃったことが極めて印象的でありました。
 したがって、市民安全条例をつくって、そして、その条例の中に緊急の特別委員会を招集することができる。万が一のときは大阪府の所管の池田警察署長、大阪府の所管の池田保健所長も市長の命をもって招集することができる。そのようなことを池田市の条例に書かせていただいたのが、平成12年4月から施行されました池田市市民安全条例というものであります。
 せっかくそんな安全条例があるまち、教育のまち、治安のよいまち池田で平成13年6月8日に、あの大阪教育大学附属池田小学校事件が起こったわけであります。時あたかも6月定例議会の開催中でありました。まず、池田市として何ができるか。当時の記憶を、今でもきちっと覚えておりますけれども、チキンラーメンをつくった安藤百福さん、今は天国に旅立たれましたけれども、まだまだお元気でありまして、あの当時88ぐらいですかね。お電話をいただきまして、安藤百福会長が「市長、大変やな。小学校を建てかえせないかんやろう。私は何をしたらいいのか」と、こんなお電話をいただいたわけであります。
 附属池田小学校であの不幸な事件が起こったわけですから、おそらく、その附属池田小学校を建てかえる必要があるのだろうと、そのために僕は何をしたらいいのか。会長は幾ばくかの寄附をしていただけると、こういう意味だなと取りましたけれども、私も正直でありますから、「会長、実は、あの事件が起こった学校というのは国立の小学校ですから、池田市が費用を投入して建てかえる必要はありません。ただ、私が思っていますのは、大変な事件が起こったわけですから、これからより安全ということがまちの基本政策の中にきちっと重い施策として入ってくるので、安全に関する基金をつくりたい。その基金の見せ金といいますか、核を会長にお願いできたらありがたいなと思っております」と、そんなお話をいたしました。6月8日に事件が起こって、おそらく10日、11日ごろにお電話をいただいたわけであります。
 会長は「幾ら要るのか」とおっしゃいましたので、私は、「当面、1,000万の基金を考えておりますので、500万、会長、お願いできませんか。あと500万は、多分、市民の皆様の浄財で集めることができる、そう思っております」。おそらく5,000万と言ってもすぐにご寄附いただいたのではなかろうかと思いますが、2日後に500万円の小切手が届きました。6月定例議会に上程しまして、平成13年6月21日に池田市市民安全基金条例というのができたわけです。
 そして、1,000万ぐらいと思っていましたけれども、すごいものですね。3,000万ぐらいの基金がすぐに集まりましたので、池田市は池田市として独自の安全パトロールをしようと、安全パトロール隊というのを平成13年10月に組織いたしました。先ほど齋藤先生のおっしゃった話と一緒ですよね。とりあえず、ダイハツさんにお願いをして、ムーブを2台ちょうだいしまして、青パトにいたしました。6人の安全パトロール隊を編成する。そして、先ほどのお話のとおりですね。郵便局の配達の皆さん方、池田タクシー、阪急タクシー、あるいはごみの収集をしている車、それらに乗務している皆さん方が全部、安全の防人だと、安全パトロール隊の隊員だという意識を持っていただいて、市内全員で安全の見守りをしようと。その象徴的な存在が青パト2台で、スタートしたのが平成13年10月のことであります。
 先ほども言いましたが、安全というのは幅広い安全があり、やはり防災というのも大事なキーであります。南海・東南海地震の問題もありますし、消防、警察、それだけではなくて、自衛隊との連携も必要だと、そういう話もございましたので、池田市では平成15年4月1日に自衛隊のOBを任期つきの職員、いわゆる正規職員として採用して、危機管理担当官としました。これで、実は安全パトロール隊の車に乗っているのが警察官のOB、そして自衛隊のOBが正規職員として入ってきて、消防の現職の職員も池田市の危機管理課の担当職員で配置をする。そういうことで、万が一の危機に備える体制ができたわけであります。
 そして、平成17年には、その安全パトロールカーを3台に増やすとともに、当時の大阪府知事は太田房江さんでありましたが、ある日突然、記者会見されたのですね。大阪府内の小学校のすべてにガードマンを配置するためのお金を出しますと。すばらしいことですね。でも、調べてみると金額が合わないのですよ。どうもおかしいと。聞いてみたら、大阪府内のすべての学校にガードマンを配置するための補助制度をつくるわけでして、ガードマンを配置した費用の2分の1を大阪府が助成する、そんな制度ができたわけであります。ということは、あと半分はこちらが出さなければならないわけですね。しかも、その当時に大阪府内のガードマンと契約している市で一番安い市の契約価格の2分の1でしたから、一気にガードマン需要が発生するので、もう少し高い費用を負担しなければなりませんが、あの事件の当事市であった池田市としてはその制度に乗らないわけにはまいりません。平成17年4月からは安全パトカーが3台、そして、改めて各小学校にガードマンが配置されるわけであります。
 ただ、大阪府も財政改革の真っただ中、知事が交代しましたね。そうすると、財政再建を目指す知事は、「安全安全というけども、ガードマンに限ったものではないだろう」ということで、このガードマンの補助金が廃止されて、安全という名の交付金にして、そして、平成21年からは、その費用が全部なくなってしまった。こういう流れをたどるわけであります。そこで、池田市ではガードマンとの契約をやめて、スクールガードリーダー、これも先ほど齋藤先生のお話にありましたが、各小学校にスクールガードリーダーを配置して、登下校の見守りにあわせて校区の見守りを地域の皆さん方と一緒にしていただくと、こんな制度になったわけであります。
 そして、同時に、平成21年4月、2台からスタートした安全パトロールカーは、現在4台になりました。4台になりますと、2人ずつ乗務しましても8人、交代要員がいますから、実は、この4月1日から、つい最近まで池田警察署の警備課長をされていた方を、これも任期つきの正規の職員として安全パトロール隊の隊長として雇用させていただいています。したがって、先ほど言いましたように、自衛隊のOBの任期つきの職員、警察官のOBの任期つきの職員、そして、警察官OBの、いわば再任用、非常勤の職員が10人、この人たちが4台のパトロールカーで回ってくれています。
 そして、池田市には、地域分権制度という小学校区単位に予算編成の要望権をお渡ししている制度がありますから、その制度にのっとって校区で安全パトロールカーを購入、運行していただいている地域が2つ。ですから、安全パトロールカーは、今、池田市では6台が運行されています。そして、ある小学校区では自転車による安全パトロール隊が結成されている。加えて、今年は、これも大阪府の安全交付金を利用してでありますけれども、各小学校の中に地域安全センターを配置させていただくことになりました。だから、附属池田小学校事件を契機に、安全な町づくりに向かってもう1歩、もう2歩、もう3歩大きく前進しようとして動いているのが池田市であります。
 私は、あるとき、附属池田小学校の運動会に寄せていただきました。そこで校長先生がごあいさつをされて、高らかに宣言されているのですね。「この附属小学校は、あの不幸な事件を受けて、今、より世界に誇れる安全な学校にしようという作業をしている。WHOの認定を受けて、インターナショナル・セーフ・スクールになるんだ」と、こういう宣言をされているのを耳にしたわけであります。「何、附属小学校がインターナショナル・セーフ・スクール? これは負けてられない」と。安全の意味で競い合うことはいいことですよね。どんどんと切磋琢磨する。だから、池田市は世界に誇れる安全で安心なまちになろうということで、実は、池田市は昨年の春に「池田市世界に誇れる安全で安心なまちづくり条例」をつくらせていただきました。池田市はインターナショナル・セーフティー・シティーを宣言するのだと、こういうことであります。
 もとよりWHOには申請しません。申請したら、結構手間がかかって、お金がかかるんですよ。池田市は、そんな申請するだけの費用も力量もありませんので。池田市がまずみずから宣言したらいいわけですね。じゃ、世界に誇れる安全・安心なまちとしての認定はだれがするのか。これは10万池田市民ですよ。10万池田市民がほんとうに我がまちこそは世界に誇れる安全なまち、安全な学校なんだよということをみんなが意識できるか。じゃ、どうすることによってみんなが意識できるか。それは、各地域で保護者が、防犯委員さんが、スクールガードリーダーが、地域の皆さん方が、間違いなくそういった形の地域の見守りのできる態勢がとれているかどうか、それをきちっと常に確認し、宣言し、そして行動する。そんなまちに向かって前進をしている。それが、今、池田市の進んでいる安全・安心のまちづくりの実態でございます。
 以上、ご紹介を申し上げ、1回目の発言としたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)

【長尾学長】  ありがとうございました。また、後ほど、ご発言いただくかと思いますが。
 それでは、続きまして、衞藤さん、よろしくお願いいたします。

【衞藤氏】  ご紹介いただきました衞藤でございます。私は、1976年に大学を卒業して、小児科の診療医として10年ほどは診療をして、その後、研究等に従事してまいりました。
 ちょうど医師として活動している1970年代、80年代ごろ、日本の子どもの健康というのはどんどん改善していって、例えば今から100年前の大正年間ですけども、生まれた子どもの15%は1歳の誕生日を見ることなく死亡していました。乳児死亡率という、1,000人の子どもが1歳の誕生日までにどのくらい亡くなるか、そういう数字、乳児死亡率といいますが、150という数字です。現在は3を切っています。生存ということに関しては、日本の子どもは世界でも最も守られている国です。
 そういう中で、1970年代、80年代、日本の子どもの死亡原因、つい3年ほど前まで、1歳から19歳までの子どもの死亡原因のトップは不慮の事故であった。事故で子どもが亡くなるということが非常に目立っていた。病気からはかなり守られているのですが、事故で亡くなることが非常に目立っていた。それは、0歳の乳児では窒息であるとか、2歳から4歳ぐらいであるとおぼれであるとか交通事故であるとか、年代で少しずつ違うのですが、そういったことがどうして起こるのかということを、小児科医として関心を持って研究を続けてきました。
 そういう中で、子どもが命を絶つ、もう少し上の年代、10代の後半ぐらいからは、事故ではなくて自殺が増えてきております。また、そのほかに、最近では児童虐待であるとか。日本では古来、いわば他殺に相当することとして心中というのがございました。親が子どもを道連れにするということがありました。こういった、今申し上げたような事故、自殺、あるいは暴力といいますか、外因死ということで統計上はまとめられておりますけども、これは病気ではなくて、体の外からエネルギーが加わって、それが加わったことによって体に損傷が生じて命を落とすということです。
 こういったことが、実は世界的にはかなり研究が進んでいて、1998年(平成10年)に私はたまたま機会があって、その年の10月にスウェーデンの首都のストックホルムにありますカロリンスカ医科大学で事故防止とセーフティー・プロモーションに関する専門家研修というのが行われるというので、そこに参加しました。そのときに、タイトルに掲げられていた「セーフティー・プロモーション」とは一体何だろうと思いました。セーフティーは安全ですし、プロモーションはそれを推進するという意味です。そこでは2週間のコースがありまして、講義と実習から成るコースだったのですが、日本人は私だけでした。そして、そのセーフティー・プロモーションというのは、単なる事故防止あるいは自殺の防止ということにとどまらず、総合的、科学的に安全の推進を検討する、そういった考え方であるということを知りました。
 ここでポイントが幾つかあるのですが、その最も大きなポイントは2つだと思います。1つは、世の中はさまざまに高度に専門分化しておりまして、それを支えている縦割りの分業が進んでおります。その縦割りの分業のままではなくて、それを横につなぐ、いわば連携、組織を横断する連携ということがこの安全の推進にはとても大事なのだということとが1つ、事故、自殺、暴力などが起こっている、そういった事実を客観的に記録したり、分析したりして、その結果に基づいて何らかの防止対策の評価を客観的に行うことが大事だということが2つ目。大きく言いますと、その2つのことが大事であるということがそこで語られておりました。
 このセーフティー・プロモーションは、1つの理念といいますか、理論なのですけども、これを実際に地域、まちづくりであるとか、あるいは学校づくりに適用したのがセーフ・コミュニティーとかセーフ・スクールという実践であると理解しております。
 その後、2008年(平成20年)に、先ほど基調講演で齋藤歖能先生もお触れになりましたが、中央教育審議会に、私、今、委員として属しておりますが、そこで当時の文部科学大臣から、子どもの健康と安全に関して学校全体として取り組むにはどうしたら良いかといった諮問という1つの命題をいただきまして、10カ月間ほど学校安全部会という部会を持ちまして、その部会長としてその審議を取りまとめる立場にございました。そのプロセスで、安全に関してはこのセーフティー・プロモーションという考え方があることとか、健康のほうにも実はヘルスプロモーションという、似たような考え方があるのですけれども、そういったこともご紹介をしたりして、これは平成20年の1月に中央教育審議会の答申としてまとまりました。それを受けて政府のほうで、先ほどお話がありました学校保健法等の一部改正ということで、実際は学校保健法と学校給食法が変わりまして、学校保健、学校安全、それから学校給食――というのは食育ですね――に関しまして法律が変わったということでございます。
 翌平成21年4月から学校保健安全法という法律が効力を発するようになりまして、安全の計画を義務づけるとか、危険発生時の対処要領というマニュアルをつくることとか、それから、学校は警察等地域のさまざまな機関とかボランティア団体等と連携をして、安全を推進することでありますとか、設置者は学校の安全を図る義務があるということが書かれました。かなり画期的なことであろうと思います。これらの中にはセーフティー・プロモーションの考え方が反映していると私は受け止めております。これを実際に日々の学校の活動なり地域の活動の中にどのように生かしていくかということがこれから問われているように思っております。
 学校における安全ということに関しましては、主としてハード面とソフト面というのがあると思います。安全の推進ということに関しては、やはり環境の整備ということが大変大事なことでありまして、それに必要な予算をきちっと確保し実行すると、あるいは、耐震化のことでありますとか、学校のさまざまな校舎、遊具等が破損した場合には安全という観点でそれをきちっと直すということが大事だと思います。そのほかにやはり大事なのは人の力であると思います。人が人を救うのでありますし、人が人の心を動かして心をつなぐというのは、やっぱり人の力であろうと思います。人の力をどのように育てるかということは、やはりこの安全づくりの中で大変大事だろうと考えております。
 簡単ですけど、以上といたします。

【長尾学長】  ありがとうございました。
 それでは、続きまして、平田オリザさん、お願いいたします。

【平田氏】  大阪大学の平田でございます。大阪大学は地元にありますので、おそらく池田市にもうちの学生がたくさんお世話になっていると思いますし、また、私の所属するコミュニケーションデザイン・センターあるいは大阪大学21世紀懐徳堂は、今、石橋の商店街の皆さんとさまざまなイベントを企画したりしております。日ごろからお世話になっております。市長をはじめ、ほんとうにお礼を申し上げます。
 私の専門は、ご紹介いただきましたように、劇作家、演出家で、演劇をつくるのが一番の仕事なんですけれども、縁あってこの20年ほど青少年向けのさまざまなワークショップ活動を行ってきました。最初は、例えば高校演劇の指導などが多かったんですけれども、そのうちにご依頼に応じて、一番多いのは国語教育とか語学教育に演劇の手法を使うのです。それ以外に環境教育ですとか観光教育ですとか、あるいは防災教育、防災は今、非常に盛んに演劇的な手法を取り入れるというのをやっていただいているんですが、その中で防犯教育に演劇的なワークショップの手法を使えないかというご依頼を受けました。
 私、6年ほど前にカナダの大学に客員で半年ほど行っていたときに、地元の劇団と仲よくなっていまして、その劇団の主宰者が「あした、お宅の大学に行くから見にきて」と言われて、何をするのかなと思ったら、アジア系の学生だけを集めた入学のオリエンテーションというのがあって、アジア系の学生がどういう犯罪に巻き込まれやすいかというのをまず寸劇で見せるんですね。見せてから、今度は学生を壇上に上げて、「こういうときにちゃんと断れる?」とか「人から呼ばれても、かばんを置いてったらだめだよ」とか、そういうことを体験させながら、どういう犯罪があるかということを伝えていくというのをたまたま見ていたものですから、こういう手法は随分使えるなと思って、この4年ほど取り組んでまいりました。特に、この2年は科学技術振興財団から大きな助成金をいただいて、これを全国展開できるようにということで、今進めております。
 防犯教育は非常に難しくて、防災もそうなのですが、防災、防犯というのは起こってから切実になる。一生被害に遭わなければそれに越したことはないし、大半の人が一生被害に遭わずに済むものなのですよね。しかし、備えておかないと非常に深刻なものになってしまう。特に、それを子どもたちに真剣にやらせるというのはとても難しいと思います。例えば防災でいえば、今は東日本大震災がありましたから、子どもたちも防災訓練を真剣にやると思いますけども、皆さん方も小学校、中学校のときに避難訓練といっても半分ふざけてやっていたときもあると思うのですよね。それは子どもだったらしょうがない部分もあると思うのです。いくら大人が怒ってやらせても、それで何かが身につくというわけではないと思うのですね。それを自分たちの問題として考えてもらうために、私たちは幾つか、1時間ぐらいでできる短いプログラムから、2、3週間かけて防犯劇という、自分たちがどうやって犯罪から身を守るかを子どもたち、これ、小学校1年生でも一部分だけせりふを自分たちで考えてもらって、誘われたときに自分ならどうやって断るかとか、自分たちで考えて劇にするというものをやっております。
 今、これを社会心理学の方などとも協力して科学的な統計資料をつくっていただいているところなのですけれども、私たちが考えている効果は、やはり子どもたちが実感として長く覚えているというところがワークショップ型の防犯教育の効果だと思っております。それは、半年でも1年でも自分たちで体験型にするとよく覚えているわけですね。逆に言いますと、今、趣味とか嗜好も多様化していますから、従来型のおまわりさんが来て、夏休みの前に紙芝居を見せたり、腹話術を見せるだけでは、他にももっとたくさんの刺激があるので、なかなか子どもたちの印象に残らない。これが参加体験型にすると、夏休みが終わるまでずっと覚えてくれる。「またやりたいね」と言ってくれる。そういったところが演劇のワークショップ型の防犯教育の強いところかなと思っております。これを今、続けているところです。
 もう1つ、私の専門はアートマネジメントという、文化や芸術を社会の中でどう位置付けるかというものなのですが、ちょっとそのお話をさせていただきます。
 最初の齋藤先生の基調講演の中でも地域社会という言葉がたくさん出てきました。私も全く同感なんですけれども、やはり問題は、地域社会が昔と同じようには機能しなくなってきているのではないかということなのですね。そういうことを今の大阪大学の学生たちにきちんと理解してもらうのが私の仕事なので、例えばこういう話をします。昔の商店街だったらば、駄菓子屋さんに子どもが10円玉を握り締めて買い物に行くのですが、ある日、子どもが1万円札で買い物に行ったら、やっぱり駄菓子屋のおばさん、注意するわけですよね。子どもに直接言わなくても、そのお母さんに「お宅のお子さん、1万円札を持ってきたけど、大丈夫?」というふうに聞く。こういうものを僕は無意識のセーフティーネットと呼んできました。今は、子どもがコンビニで500円玉で買おうが1万円札で買おうが、アルバイトの店員は黙ってレジを打つわけですよね。例えば床屋さんでも、昔だったらば髪を切っている人の横で子どもがずっと漫画を読んでいて、その横で、この人たち、いつ仕事してるのだろうというようなおじさんたちが将棋を指したりしていたわけです。こういった無意識のセーフティーネットというものがなくなっていってしまったのではないかと思います。
 ある週刊誌が7、8年前に、なぜ青少年の凶悪犯罪が地方に多発するのかという特集を組みました。そこでも言われているのが、若者たちのたまり場が孤立化し閉塞化しているということでした。要するに、社会からいったんドロップアウトしてしまうと、行き場所が、単純に言えば、カラオケボックスとゲームセンターと、そして今でいうとネットカフェ、そういったところしかない。カラオケボックスは非常に象徴的な場所で、外から全く見えず、そして、先ほど言った駄菓子屋さんとか床屋さんとか銭湯のような学年を超えた交流というのはまずあり得ない。そういったところが犯罪の温床になりやすいのではないかと言われています。
 残念ながら、例えば、こういったこともあります。私は東京で生まれ育って、今も家が東京にあって、渋谷の近くに住んでいるんですけれども、渋谷というまちは、30年ほど前までは非常に汚い小さなまちでした。それが東急と西武という二大資本の力で急速にまちを大きくしました。そして発展したわけですね。それはとてもいいことだったわけです。しかし、その結果どうなったかというと、渋谷というのは、渋い谷と書くぐらいで、谷間のまちなのですが、その谷底のセンター街というところでは、今はあまりいないのですが、チーマーと呼ばれる不良少年たちが地べたにずっと座って、非常に危険な雰囲気をかもし出すようになってしまいました。
 僕は、帰り道なのでそこをよく通るんです。でも、その子たちを見るたびに、これ、この子たちの責任だけじゃないだろうと思うのです。要するに、渋谷というまちは、都市計画なしに資本の論理だけでまちを広げてしまったために、ヨーロッパのまちなら必ずある噴水のある広場とか公園とかが1つもないんですね。公園は1つ、宮下公園というのがあるのですが、ここはこの十数年ホームレスのたまり場になっていて、若者たちは寄りつけません。結局、渋谷区は、そこをナイキにネーミングライツを売ってスポーツ公園にするということにしたのですが、折り合いがつかずに、昨年、行政代執行を行いました。行政代執行というのは行政としては最終手段で、本当はとってはいけない手段だと思うのですけれども、完全にまちづくりに失敗してしまったということです。
 要するに、そういった弱者の居場所をつくってこなかったまちをつくってしまった。でも、弱者は富に吸い寄せられるように集まってきて、社会的弱者が右往左往することによってまちの危険度をどんどん高めているというのが、今の渋谷の現状です。要するに、商店街が持っていた人と人とのつながりのようなものが壊れ出すと、これはもう止めることができないのだと思うんですね。齋藤先生は、地域社会とのつながりが安全を確保するのにとても大事だとおっしゃられた。これは、ただ単に安全、要するに、子どもを犯罪から守るというだけではなくて、犯罪を生み出しにくいまちをつくるということなんだと思うんです。ただし、今までのように誰もが誰もを知っているような強固な共同体は無理だと思うんですね。例えば石橋の商店街の中だけならば、それは皆さんが知り合いだからいいんですけれども、ちょっと外に出れば新興住宅地で、ほとんどの人が知らないわけですよね。
 そこで、僕は、先ほど齋藤先生もおっしゃっていたように、さまざまな行事に参加する、さまざまなアクティビティーを通じて誰かが誰かを知っているような社会をつくっていくべきなのではないか。今までの強固な狭い、誰もが誰もを知っている地域共同体から、例えば、それが演劇であったり、音楽であったり、美術であったり、ボランティア活動であったり、フットサルであったり、ミニバスケットであったり、何でもいいのですが、何かを通じて誰かが誰かを知っている社会――僕はこれを緩やかなネットワーク社会と呼んでいるんですけれども、こういった緩やかなネットワーク社会に日本の社会自体を編みかえていかないと、犯罪はどうしても出てきてしまうわけです。それを市長もおっしゃったように、絶対なくすのではなくて、被害を少なくして、できる限り安心なまちをつくるためには、こういった緩やかでしなやかなネットワーク社会をつくっていく以外に、多分、方法はないのではないかと思うんですね。例えば不審者が歩いていたら、すぐに誰かが誰かに伝えていけるようなまちづくり、そういったものがおそらく必要となってくるのではないかと思います。
 そして、逆に、そういった犯罪者を生み出さないためには人間を孤立させない。こういったものを私たちの世界では文化による社会包摂(ソーシャルインクルージョン)と呼んでいます。要するに、不況が長期化する。それから、地域社会が崩壊してしまう。そうすると、どうしても人間が孤立化しやすくなってしまうんですね。これがやっぱり一番の犯罪の温床になってしまう。あるいは、犯罪被害を拡大してしまう。だから、できる限り孤立化させない新しいネットワークをつくっていくことがおそらく大事なのではないかと。そのときに私たちがやっているような芸術や文化の活動というのは、その網目の接点の1つとして少しずつでも役割を果たせるのではないかと思っております。
 私たちの大学が石橋の商店街の皆さんと一緒に活動させていただくのも、そういった役割がこれから大学にも担わされていくのではないかなということがあるためです。これはどちらかというと、商店街のためというよりも、私たちの学生がそういうお手伝いをさせていただくことが学生にとって非常に重要な教育の機会を与えていただいていると思っておりますので、ぜひそういう意味でも今後も協働して、そういった緩やかなネットワークのまちづくりに貢献できればと思っております。
 一応、以上です。(拍手)

【長尾学長】  ありがとうございました。
 それでは、続いて、といっても一応の最後になりますが、藤田先生、よろしくお願いします。

【藤田氏】  ご紹介いただきました藤田でございます。私は、このパンフレットにも記載していただいておりますように、平成19年4月から4年間、附属池田小学校長を併任させていただいておりました。その中で、平成22年3月5日に、先ほど学長からも案内ありましたように、我が国で最初のインターナショナル・セーフ・スクールの認証のときの校長という形で、認証の現場に立ち会わせていただいたわけです。その校長の任期が本年3月に終わりまして、現在は、もともとの所属であります、平成13年の池田小学校事件を契機として平成15年に設置された学校危機メンタルサポートセンターで安全教育、安全管理にかかわる研究、教育活動に従事させていただいております。
 私のほうは、研究内容、取り組んでいる方向性ということで自己紹介させていただきたいと思います。
 基本的に安全教育についてやっております。安全教育の中で、特に子どもたちの安全能力の向上、形成ということで、どのような形の取り組みが必要なのかということで、現在取り組んでいるのはソーシャルサポート認知という、子どもたちがどのように支えられていると実感しているのか――ソーシャルサポートというのは、受けとめられているとか、愛されているとか、支持されているとか、困ったときに助けてもらえるという支持・支援の枠組みですが、そういうことをどれだけ子どもたちが感じることができるのか、感じているソーシャルサポートの大きさがまさに子どもたちの主体的な安全行動の形成につながるのではないかという研究です。実際、そういったソーシャルサポート認知の調査を行いますと、やはりサポート認知が高い子どもというのは自尊感情、いわゆるセルフ・エスティームといいますが、かけがえのない自分であるという認識が高くなっていく。結局、かけがえのない自分の存在というものをやはり大切にしなければいけない、そういうことから主体的な安全行動が形成されるのではないかと、現在、観察を進めているところです。
 では、そういった中でどういう安全教育を具体的に進めるのが必要なのかということで、先ほど基調講演の齋藤先生のお話の中でも、消極的な安全教育をもう少し積極的な安全教育へというお話があったかと思います。まさに従来の消極的な安全教育である危険発見論のような安全教育をやめていかなきゃいけないだろうと。つまり、ここが危ないとか、こういう人が不審者だといった否定的なネガティブな感情を子どもたちに教育しようとする。そうすると、現在の犯罪状況等を考えてみると、犯罪者というのは、教育で扱われるような状況をそのまま活用するのではなくて、やはりその裏をかいたことを行ってくる。そうしたら、たまたまそういった犯罪に巻き込まれてしまった子どもたちは、あれほど教育されていたのに、教えられていたのに、そういった犯罪に巻き込まれてしまった自分が悪いという、いわゆる犠牲者批判という状況がつくられていってしまう。そういうことが、結局、自分に対する否定感、自尊感情の喪失につながっていきます。
 また、同時に、そういった危険発見論的な考え方で安全教育を行うと、まちの中であちらが危ない、こちらが危ないとか、変な人がたくさんいるというと、結局、地域に対する不信感の形成につながっていってしまう。そういった地域に対する、また、大人に対する不信感の形成、これは絶対にやめなければいけない。それじゃ、どうするかということで、やはり安全というものを一緒につくっているのだという、いわゆる共生、共感論という考え方で、みんなが安全をつくっていこう、また、それを進めていこうと取り組んでいる姿を子どもたちに気づかせる、その姿を見せる、そういった安全教育が必要なのではないだろうか。そこから安全に見守られている自分に気づく。それが結局、安心の形成につながって、そして、その地域の信頼に対して貢献するのではないだろうかと考えています。
 そういったかけがえのない自分の存在に対して地域の人たちとか大人たちが向けている安全のまなざしというものを子どもたちに感じさせる。そのことによってかけがえのない自分の安全、また、かけがえのない家族の安全、友達の安全、地域の安全にみずから主体的に取り組んでいく子どもたちの育成、そういうものを目指した教育活動が何とかできないかということで、現在、科学技術振興機構の社会技術研究開発センターから予算をいただきまして、安全教育教材の開発に取り組んでいるところです。一応5年計画ということで、平成24年の9月に一般無償公開できる教材開発に取り組んでいるところでございます。
 また、先ほどありましたインターナショナル・セーフ・スクールということにつきましては、今日、ちょうどこの会場で附属池田小学校が認証を受けるに至った経緯をパネル展示されておりますので、ぜひ、また後でごらんいただきたいと思います。インターナショナル・セーフ・スクールという概念は、安全な学校を認証するというもののではなく、安全という状況を維持、構築していく、推進していくその手順、また、その体系が構築されているかどうかということの認証制度であって、完成した安全な学校を認証するものではないのです。ただ、附属池田小学校を見学していただいた方々から、事件後改修された大変セキュリティーの高い学校ということで、「いや、うちなんかとてもとても」としり込みされる方が多いのですが、安全のための取り組みが継続されていくことが大切で、つまり、安全の取り組みの経験の共有を今後進めていく必要があるのだろうと思っています。だから、そのハード面のみではなくて、要はソフト面。そのソフト面における安全の取り組みの共有、経験の共有を今後さらに展開していくことによって、日本のいろんな学校の安全推進に取り組んでいきたいと考えて活動しているところです。
 大変簡単ですが、以上で自己紹介にかえさせていただきます。

【長尾学長】  自己紹介を兼ねて、それぞれ本日のテーマとの接点についてご発言いただきました。
 4名のご発言を聞いていて、私もいろいろ重要な問題が出てきているなと思います。まず、今日の基調提案でご講演いただきました齋藤先生のお話のキーワードは、地域社会との関係の中で安全・安心、防災、防犯をどういうふうに保障、獲得していくのかという問題提起ではなかったかと思います。
 そのことにつきまして、事件当時あるいはそれ以降、例えば小学校に警備員を置くとか、ハードのところでとにかく学校の安全をということが初期としてはありましたね。どこの学校へ行っても、首からカードをつけて、ガードマンを立てて、安全・安心な学校づくりにある時期取り組んだということがあったかと思います。それ以降、これは財政の問題もあったのかもしれませんが、その辺りはまた倉田市長からお聞きしたいと思います。それが、池田市が取り組んでおられるような児童の見守りという形で、ある種新しい公共といったら何ですけれども、共同体社会の編み直しの中で推移してきたのではないかと思っています。
 それを平田さんは、ネットワークの再構築という観点から、さらに発展させていただいたのではないかなと思います。実は、私、教育学の出でございまして、地域との連携ということはよく言うんですけれども、非常に嫌な言い方としては、地域なんてないんだというように、私は逆説的には言ってきたことがあります。平田さんもおっしゃったけども、昔は地域がそれなりの教育力を持っていたということは、現象的にはそうですけれども、それはかなり自然発生的にあったのではないか。これからはかなり意識的にコミュニティーなりネットワークなりをつくっていかなければならない時代に来ていると。そのこととテーマとしては安全・安心ということ、ある意味で地域づくりですね。手を合わせたら向こうに地域があるとか、そんな便利な地域はないと思っております。その点では、地域づくりという、これから新しくつくっていかなければならない課題としての地域ということがあるんじゃないかと思います。
 それが一番大きなことですが、もうちょっと言えば、学校安全・安心のメンタルのことも含めて医療の問題、心の問題等含めての問題もあるとしても、まず一番大きな問題というか、基調提案を踏まえた上での問題とすれば、どのようにコミュニティーのあり方の問題を捉え、コミュニティーを創造していくかということがあるかと思います。そのことを私のほうで問題提起として整理させていただいた上で、それぞれのお立場で新しい地域社会、ネットワーク、コミュニティーづくりにどうかかわるのか、行政、医療、子どもの健康・安全の問題、平田さんの提起された問題、あるいは、インターナショナル・セーフ・スクールとの関係でという形で、その辺はあまりコントロールかけませんが、新しい地域づくり、ネットワークづくりということにちょっと焦点を置いた上で学校の安全・安心をもう少し論じていただければと思います。
 どなたからでも結構です。では、藤田さん、いかがでしょうか。

【藤田氏】  学校の防犯活動と地域ということで、いろいろなところで話をお伺いしている中で、附属池田小学校事件を契機として、各地域において地域のボランティアの方々に子どもの安心・安全の見守り活動を展開していただいている。そういう活動がずっと継続されていく中で、この活動をいつまで続けなければいけないんだろうかという話が出てくるというのを伺います。ただ、そういった中で、同時に地域の方々にお話を伺っていると、防犯というために子どもたちの安全のための見守り活動というものが実際にいろいろと実践されて、大勢の人たちが参加している。その大勢の方々が参加している地域であると、確かに何も犯罪は起こらないです。子どもたちが被害を受ける犯罪が起こらない。同時に、また、その地域における空き巣や窃盗犯、いわゆる侵入盗、そういった犯罪の発生率も低下していると聞いております。ですから、ただ、子どもに対する犯罪が起こらないので、どうも地域の方々は何か時間を無駄にしていると。なぜ私はいつまでもこんなところに立ってぼうっとしていなきゃいけないのかというような質問があるのですが、そういった活動の中で、どうも時間の無駄という感覚があらわれてくるのは禁じ得ない。
 でも、そこで考えていただきたいということでお伝えしているのは、やはり、安全ということについては価値観の転換が必要であって、無駄ということが安全にとって重要である。だから、防犯のための取り組み活動を継続していただいていること、それが結局、無駄な時間のように感じられることが大変重要であって、忙しくて充実している防犯活動は困るわけです。だから、目的とする防犯活動で子どもたちの安全はそれで維持される、さらに加えて、その地域全体の防犯活動にも効果がある、そういうふうに考えていただきたいとお願いしています。

【長尾学長】  池田市は子育て支援の池田モデルということを追求していただいているということですが、率直に申しまして、先ほど倉田さんが冒頭におっしゃった、お金の問題があるかと思います。財政で地域の子どもの安全を守るというのは、それなりにあろうかと思うんですが、先ほど、私、申しましたように、地域のネットワークづくりということとかかわって子ども支援の池田モデルのねらいを倉田さんに言ってもらえればと思います。

【倉田市長】  安全にかけるお金はけちったらだめですが、でも、財政には限界があります。だから、金をかけずに人の熱意、情熱、人と人とのネットワーク、あるいは、衞藤先生がおっしゃいましたけど、組織と組織の連携、あるいはソーシャルサポート、緩やかなネットワーク社会と、それぞれ3先生がキーワードとして言っていただきました。
 1つは、やっぱりヒューマンネットワークですね。大阪教育大学附属池田小学校は、どこの学校なんですかね。名前は池田小学校というから池田にあるのですが、池田市民には池田市の学校だという意識はありません。そして、附属池田小学校の皆さん方も池田市の学校だという認識は極めて薄い。池田にある、池田に通っているという気はあるけれども、いわば10万池田市の治安の責任者は倉田市長ですよと、その倉田市長が治安の責任者であるまちに我が子が通っているということを、川西の人、豊中の人が思っているという関係はなかったんですね。だから、あの事件が起こったときに、私としてはほんとうにいら立ちを隠せなかったわけであります。何故かというと、附属池田小学校は大阪教育大学を見ているわけですよ。そして、大学は文科省を見ているわけです。だから、あの当時の太田房江知事も烈火のごとく怒った状況があります。あれ、大阪の学校と違うわけですね。文科省の学校なのです。
 というふうな関係から、どうして、今日、こうして池田市と大阪教育大学が共催でシンポジウムができるようになったかといえば、この長尾さんがいたからです。この人と、私、相当言い合いをしましたよ。でも、人間関係が良くなったのでヒューマンネットワークが構築されて、そして、学長になられて、池田市長と一緒にこの地域の安全を考えていこうじゃないかと、そして、この地域の中で、例えば附属池田小学校も守られているんですよ、子どもたちも一緒なんですよというところまで、今、到達してきたわけですね。これはお金ではありません。人と人とのつながりであります。
 ただ、池田市は自治会の加入率38%です。まだどんどん減っています。自治会のない地域もあります。だから、池田は、全国で初めての制度として地域分権制度というのを条例で構築しました。平成19年、4年前です。その地域分権の地域というのはどこかというと、各小学校区の単位です。池田市立の小学校の単位を1つの地域、コミュニティーと見て、そして、住民の皆さん方に手づくりでコミュニティー推進協議会をつくっていただいて、1,000万円ぐらいの範疇で予算編成要望権を持っている。そして、附属池田小学校もちゃんと地域の一員として、地域の皆さん方と連携をとりながら、例えば地域の皆さんのおじちゃん、おばちゃんが餅つきに参加してくれている、そういうネットワークができてきたというのが今日現在で、池田市はそういった意味では、社会全体で子どもたちを支え守るという子育てモデルのネットワークをつくろうと、こういうのが現状です。

【長尾学長】  そうですね。今でも覚えておりますが、倉田市長から「どこの学校やねん。地域との連携がないやないか」というようなお叱りを受けて、私も深く反省したということを昨日のように思い返しております。
 衞藤先生、セーフティー・プロモーションの中で、セーフ・コミュニティーということとの接点があるとおっしゃっていただいたんですが、セーフティー・プロモーションとセーフ・コミュニティーと、それから、今日の大きなテーマである学校と地域社会との関係、その辺りをもうちょっと補足していただければと思います。

【衞藤氏】  先ほどはセーフティー・プロモーションという考え方をご紹介することが主でしたけれども、実際にそれがヨーロッパから発信されて、まちづくりというところではセーフ・コミュニティーをつくろうという運動が広がっております。これは、先ほど市長のお話の中に認証という言葉がありましたけど、スタイルとしては、セーフ・コミュニティーが満たす条件というのが6つぐらい示されていて、それを満たしたという審査を受けて認証するという形式をとっておりますけども、目指すところは、やはり、まちが安全で、人々が体感できるようなコミュニティーをつくろうということです。ですから、これが唯一ということではないのですが、今のところ、そういう形のものが世界的には広がっているということです。
 発言のついでに、今日は学校の安全ということをテーマにシンポジウムを進めている中で、ネットワークとか地域づくりということが1つのキーワードとして浮かび上がってきました。実は、私は母子保健ということもやっていて、例えば子育て支援ということで、今、少子高齢化という中で子どもたちが、例えば昔のように外の原っぱで群れて、ガキ大将もいてという中ではもう遊べない、子どもたち同士が大変忙しい生活をしていて、自然発生的に一緒に遊んだりするということがなかなか難しくなってきている中で、じゃ、どのように子どもたちの小さいときからの自然体験であるとか、遊びの体験をつくるかということをむしろある程度仕掛けていかなくてはならないのだろうかというようなことが問題になっていたりとか、あとは、今、中央教育審議会のほうで、新しいテーマとしては青少年活動をどういうふうにしていくかということで審議が始まったところです。その中で現状を示す資料として、今、ボーイスカウトの加入率が減っているとか、子ども会に入っている人が減っているとか、そういうことが全国的に進行していて、子どもたちの暮らす世界は、同じ生活空間に暮らしていながら、人と人のつながりがつけにくいような環境で、今、子どもたちがどんどんと分断化されている中で育っている。そこでもやはりネットワークをどういうふうにするかということが話題になっていて、今、話題は安全の話ですけども、日本全国で進行している状況に対して、「いや、ネットワークをつくらなくちゃいけないんだ」ということは、いろんな形で問われていて、その中でこれは語られる必要があると思います。何も安全だけを推進することだけにとどまらない。もっともっと大きな成果を期待できるようなことなのではないだろうかと感じております。

【長尾学長】  それで、これは私の思い過ごしかもわからないということも含めて、平田さんにご意見をいただきたいと思っているのですが、地域との連携とか協力とかいったときに、地域に助けていただくとか、協力をいただくと。そうすると、地域は頼まれる側というか、助ける側と、こういうことになってしまいやすいんですね。私、お願いする側、私、助ける側と、こうなってしまって、それでは地域というのは再生できないと私は思っております。そこで、今日平田さんは緩やかなネットワークということを言いながら、幾つかの例を挙げられた中で、私、ふと思ったんですが、地域がある種、だれかがだれかを知っているような緩やかなネットワーク社会を構築していくことは、実は、そのネットワークに参加している人たちの成長とか発達とか、その人たち自身にとってのメリットというか、ものすごく価値があると。地域がある種のネットワークをつくることによって、そのネットワークに参加する人たち自身の、大きく言えば心の安全、豊かさみたいなものが出てくるんだという思考回路を持たないと、いつまでたっても学校は地域にお願いすると。お願いされたことを地域は請負的にやるということじゃなくて、地域と学校が連携する中で、そのネットワークに参加する人たち自身の豊かさみたいなもの、あるいは、そこに参加することによって関係のより直しというか、その人たち自身の成長とか豊かさみたいなものがあるんだというように考えたほうがいいのかなと、私、ちょっと思ったんですけども、そのあたり、どうでしょうか。

【平田氏】  長尾先生がおっしゃったように、もう地域はないというのはまさにそのとおりで、自治会とか消防団の組織率が、全国的にとても低下しているわけですね。要するに、今の若者たちは、その地域に生まれたからその地域の住民になるわけではないんですね。その地域に生まれたから自治会に入り、消防団に入り、商工会議所に入り、夏は盆踊りだ、秋は祭りだ、冬は餅つきだって、全部の行事に参加させられるような強固な共同体はうんざりしていて、だから、みんな大都会に出ていくわけですよね。
 ところが、どんな統計調査を見ても、高度な芸術文化活動、環境保護運動、ボランティア活動、こういった地域貢献に関しては、大体、車で30分圏内ならば人々はストレスなく参加すると。自分が意思を持って参加したいと思う活動を行政あるいはNPOが用意できれば、相当広域圏でも参加するということなんですね。今までのような狭い範囲で、要するに、稲作文化というのはすごくちっちゃいところでみんなが同じ活動をしないと育たないんですね、米というのは。そういう特徴を持っていて、だから、すごく小さな範囲で誰もが誰もを知っている強固な共同体をつくってきたわけですけど、これはもう無理なので、少し広域でもいいので、さまざまな広い意味での文化的な活動、スポーツなんかも含めた、そういうものによって、ちょっとずつくっついていることしか、多分、この成熟社会の中の地域共同体というのはもたないんじゃないかと思っているんです。
 実際に、例えば今回震災が起きたときに、恥ずかしいことに首都圏では買い占め、買いだめというのが起こったわけですけれども、ところが、私、駒場の商店街の中で生まれ育って、今もそこに暮らしているんですね。そこは東京のど真ん中ですけど、全く買い占め、買いだめが起こらないのですよ。3軒隣のパン屋さんに聞いたら、商店街の人はパン2斤でも恥ずかしそうに買っていくと。ところが、知らない人が5斤買っていくって言うのですね。ひどかったのは郊外型のショッピングセンターなのです。要するに、日本の恥の文化というのは顔見知りにしか通用しないから、知らない人になっちゃうと、旅の恥はかき捨てになっちゃうわけですよね。もはや、そういうふうに従来型の共同体が壊れてしまっているのに、それをそこに戻そうというのは幻想に過ぎなくて、そうすると、行政が今やんなきゃいけないことは、これだけ価値が多様化していますから、ほんとうにさまざまな小さなアクティビティーをたくさん用意して、そこにどうにかして参加してもらうということだと思うんです。
 僕は、大体、1年の4分の1ぐらいはフランスで仕事をしてるんですけど、おととしいたのがパリの郊外のジュヌビリエという、これは移民のまちです。7割から8割はアフリカ系の移民の方たちで、治安もそんなによくない。僕は普通に劇場で仕事しているんですけど、ロビーがカフェになっていまして、そこにマッキントッシュのコンピューターが10台ぐらい置いてあって、いつでも使っていいようになっているんです。昼間というか午後は近所の子どもたちがみんな集まってきて、要するに、家でコンピューターも買えない世帯の子たちです。ずっと日本の漫画のサイトとかを見ているのですが、それでもいいんです。なぜなら、よそに行かれたら薬物汚染とかが待っているから、劇場に来てくれるだけでいいんですね。来てくれた子たちに、そのうち、「じゃ、ちょっとヒップホップのワークショップでもやるから参加してみない?」というふうにしたりとか、図書館も完全にコミュニティースペースになっていて、今後、図書館というのはとても大きな役割を果たすと思うんです。ひきこもりの方で図書館とコンビニだけは行けるという層があるんですね。図書館に来てもらって、おそらく今までにはなかったような談話室みたいなのをつくって、そこにカウンセラーとかボランティアの方を配置して、しゃべれるようにして、「じゃ、次は子どもに読み聞かせをやってみない?」というような、まさに居場所と出番ですよね。そういうものをつくっていくことによって、何かに社会参加してもらう。
 今、失職した方が問題なのは、先が見えないからだんだんだんだんひきこもってしまうわけですね。今、日本の最大の問題は中高年のひきこもりです。だから、どうにかして社会参加の道を、今までは高度経済成長の中では経済だけが社会参加の道だったんですね、特に男性にとっては。でも、そうじゃなくて、ほかの社会参加の回路を残しておかないと地域社会が維持できない時代になっているので、まさにおっしゃったように、参加してもらうということが最大の安全・安心につながると僕は思っています。

【長尾学長】  ありがとうございました。地域社会の問題については、4人のパネラーのご意見で深まってきたと思っております。
 私は、このコーディネータを引き受けて、それから、今日のお話も聞いてずっとひっかかってきたことが1つございます。と申しますのは、附属池田小学校事件が起こった根底的な背景にあるのは、生命に対する軽視というか、そういうものが実はあったんじゃないかという気がしてならないんです。と申しますのは、あの犯人がやった残虐な行為というものを、何故ああいう犯罪が、これは災害ではなくて、まさに犯罪として起こった、その背景の根底にあるのは命、生命に対する尊厳の欠落ということがあったのではないかと思います。その辺りのことをしっかり見据えておかないと、学校の安全・安心というものもなかなかタイムリーにいかないんじゃないかと思います。
 その点ではちょっと視点が大きくなり過ぎるのかもわかりませんが、交通安全もそうですし、生活安全も、それから災害も防犯も含めて、そこで守られているのが、とりわけ子どもたちの命、生命というものの尊厳に対するある種の後退現象というか、そうしたことがある中では安全・安心ということに取り組めないのではないかとも思ってしまったりするんです。そのあたりのことについてはいかがでしょうか。
 藤田さんが、例えばセルフ・エスティームということが大事なんだとおっしゃいましたね。極端なことを言うと、あの犯人は全くセルフ・エスティームを失った人間ではなかったか。それは、ある意味で命、生命、そういうものに対して全く切り離されてしまって、それから切り離されるということは、自らの尊厳を認めていくセルフ・エスティームの欠落にもなっていったと。そういうことがあるとすれば、その深い問題を押さえておく必要がどこかにあるのかなと思ったりもするんですけども、その辺、どうでしょうか。医学的な、あるいはいろいろな立場から。そんなものはコーディネータの勝手な思い過ごしだと言われればそうなんですけれども、そのことに関わってご発言いただければと思います。

【藤田氏】  そのセルフ・エスティームとソーシャルサポート認知という形で、以前、子どもではなくて大阪の一部上場企業5社の従業員の方を調査したときに、単身赴任をしたお父さんたちで、特に大阪、北部の方なんですけども、そういった人たちが6カ月から9カ月たって医療費が増える人と減る人に分かれてくる。その中で医療費が減る、つまり元気な状態である人と、医療費が増える、健康を崩してしまった人の大きな違いはどこにあるのかと調べたときに、体調を崩す多くの人にやっぱりセルフ・エスティームというかソーシャルサポート認知が低いという傾向があったんです。
 そういう人たちに保健師さんから話を聞いてもらうと、単身赴任した当初は、家族、奥さんとか子どもから晩御飯に何を食べたとか、今何してるというメールとか電話がたびたびかかってくる。ところが、3カ月、4カ月たってくると電話もないし、メールも送られてこなくて、見捨てられた思いがだんだん強くなってくる。そうすると、その見捨てられたお父さんたちというのは、どうしてもさみしくなって、仕事が終わった後、だれもいない部屋に帰るのが嫌になるので、ついつい飲み歩いてしまう。飲み歩いたときに、だれも自分のことを心配してくれないから、おれは好きなものを食べるんだといって、酒の量は増えていくし、つまみも自分の好きなものばっかり食べていってしまう。そういった中で6カ月から7カ月たってくると、だんだん体調を崩すことが増えてきてしまう。それに対して逆に、相変わらず家族からメールとか電話がかかってくるお父さんたちというのは、家族が心配してくれていると思うわけですね。そうすると、やはり家族に心配かけちゃいけないからと思って、食べるものについても、ちゃんと栄養バランスを考えてつまみをとらなきゃいけないかなとか、飲む量もちょっと控えなきゃいけないかなということで健康状態が改善されていく。
 そういった中で、特に体調を崩したお父さんたちに話を聞くと、「でも、病気になったら困るでしょう」と言ったら、大抵、「おれの人生、おれの勝手だ。何をやろうと勝手だ」というふうな投げやりな感覚が大変強くなっていました。つまり、さっきから出ている社会とのつながりとか、家族とのつながりとか、そういうつながりがだんだんとなくなっていく。いわゆるサポート認知というものがなくなって孤立していけばいくほど、人間というのは、何かあったとき、運がよかった、悪かったという投げやりな考え方をするようになってくる。ところが、つながりがある人は、やはり自分とつながっている人のことを思い出していく。そういった中で、自分に対する対応も行動の選択も変わってくるのではないかという結果が出ていましたので、それをもとにして子どもたちの安全についても適用しているわけのですが、そういうつながりというものを実感すること、これがやっぱり大切なのだろうと考えています。

【長尾学長】  ありがとうございました。
 どうぞご自由に、議論の流れにこだわらず、ご発言ください。

【衞藤氏】  なかなか難しい質問で、明快には答えられないかもしれません。私は今でも少し診療する場面があるのですが、ある程度重大な病気が見つかったとか、そういうときにそれをお話ししたりするときに受けとめられ方といいますか、日本は非常に高学歴であるにもかかわらず、やはり命とか病気をきちっと自分の心で受けとめるということに関して、学歴が高いわりにはなかなか自信を持ってそういうことが受けとめられないという方がやや多いように感じています。
 その一人一人の人間にとって一番大切にしていることは何なのかということを考えたときに、特に戦後の六十数年を考えたときに、やはり日本では経済ということが非常に重んじられたことは間違いないと思います。その中で、命を大切にするとみんな言葉では言いますけども、命に対する怖れがあっただろうかということは、問いとしてはとどめておきたいと思います。やはり、諸外国と比べて、例えば人工妊娠中絶は日本では大変多く行われてきておりますし、命に怖れを持ってきただろうかということは、教育に携わる立場としても考えておかなければいけないと思います。
 一方で、命の教育ということを研究していらっしゃる方もおりますけども、これは、例えば性に関する指導であるとか、生徒指導とか、そういうことに関わってくるのかもしれません。まだ明快な答えではないですけど、1つの問いとして私も大切にしておきたいと思っています。

【長尾学長】  ありがとうございました。

【倉田市長】  市長として言ってはいけないことなのかもしれませんが、教育現場での宗教教育というのは実際にどこまでされているんですかね。特定の宗教学校、仏教を中心とする学校、ミッションスクールなど、そこでは特定の宗教に基づく宗教教育をされているんでしょうが、やっぱり生と死を見つめて、そこできちっと理解するための宗教教育、これは家庭教育に委ねているんですね。例えば今日はおばあちゃんの命日だからと、お寺さんが来られて、そして、お参りをしている親の後ろ姿を子どもたちが見ながら、あるいは、お墓参りに行く姿を見ながらという、日本の伝統に基づいた宗教教育は家庭教育の中にあるんでしょうけど、やっぱり心の教育という点で、倫理、道徳に加えてもう一歩突っ込んだ宗教教育というものが要るのではないかな。
 ついでに申し上げますと、政治。何か宗教と政治はタブーなんですね、教育現場で。タブーだと言われながら、特定の先生が思想的に教えることがあって、それがええとか悪いとか言われることがあるんですが、そういった意味では、生と死ということをテーマにするならやっぱり宗教から切り離すことはできないのかなと、最近つくづくとそんな思いがしていますね。

【長尾学長】  平田さん、何かございますか。

【平田氏】  この間も鈴木寛文科副大臣と2人で話をしていて、海外の大学には必ずあって、日本の大学、特に日本の国立大学に足りないもの2つ。1つは、今、市長がおっしゃったような教会。それと、もう1つが劇場。これは海外の大学ではどこにでもあるんですけど、日本にはないんですね。大阪大学は、4万人のコミュニティーです。頭を鍛える場所はたくさんあります。もちろん研究室もあるし、図書館もある。それから、体を鍛える場所もたくさんあるんです。運動場も武道場もプールもあります。ところが、心を鍛えたり、心を慰めたりする場所は1つもないんです。病気になったらカウンセリングセンターに来なさいという。これは異常なことなんですよね。要するに、人間をゆがめて育てようとしているとしか思えない。しかし、日本の国立大学というのは、基本的には強い国家、強い軍隊をつくるために明治期に生まれたものなので、そういうことは必要とされてこなかったわけです。大阪大学、今、一生懸命、国際化に励んで、ベスト30ぐらいには入っているんですけれども、でも、こんなことずっと続けてたら、絶対にベスト10とかには入れないですよね。
 もちろん、国立大学ですから、特定の宗教施設を持つことはできないんですけれども、祈る、こちらにもいただいた資料にもあるように、人間にとって祈るということはとても重要なことであって、その祈りの場がないんですね。あるいは、心を豊かにする場所がないんです。それは本当におかしなこと。阪大は、今度、80周年記念事業でスタジオをつくっていただいて、ここでは寄席とか、そういった催しを地域に開放してやることになっておりますので、ぜひ皆さんにも来ていただきたいと思います。そういうことが、まさに市長がおっしゃったように、日本では戦前の非常に偏った宗教教育の反省からタブーになっていたというところがあると思うんです。
 もう1つは、やはり、私たちは、近代社会に生きていますから、鶏の絞め方を知らなくても鳥肉を食べることができますし、米の育て方を知らなくても米を食べられるわけです。だから、そういう社会に生きていて、四季を、暑い寒いもあまり感じなくて快適な空間の中にいて、そういう社会をつくっておいて、子どもたちに学校の教室だけで命の大切さを伝えるというのは相当無理があるんじゃないかと思うんです。やっぱり、これは体験教育とか、そういったものを相当織り込んでいかないと難しいんじゃないでしょうか。ですから、地域社会を開くと同時に、やはり学校もセキュリティーの問題を解決すると同時に、どうやって学校を地域に開いていくかという、もう1つの方向を考えていかないと、今度は子どもたちの心の教育ということが非常に大きな課題になっていくだろうなと思っています。

【長尾学長】  私がかきまぜた問題提起をしてしまったのかもしれませんが、私としては命やら生命の問題、あるいは文化の問題も含めてということでございますけども、祈りの問題にも関わったのかなと思ったりもしております。附属池田小学校では毎年6月8日は祈りと誓いの行事を行っているということは、私としては、そういうある種の文化にも関わることと思ったりもしております。
 まだ時間が残っております。ご講演いただきました齋藤先生、おられますか。齋藤先生、お聞きになりまして、ご感想なり、ご質問なりございましたら、ぜひともよろしくお願いしたいと思います。こういうことは予定にはなく、突然でございますけれども。

【齋藤氏】  シンポジウムを聞かせていただきまして、それぞれの先生方の意見を聞きまして、幅の広い考え方があるんだなということを考えました。
 最後の問題、祈りという問題につきましても、命を大切にするという教育は日本では非常に多くなされていると思います。しかし、デス教育ですね、死に対する教育、これはあまりされてないんじゃないだろうか。例えばペットが亡くなったとき、子どもたちはどういう悲しみを持つんだろうか。おじいさん、おばあさんが亡くなったときにどういう悲しみを持つんだろうか。そういうことを含めながら死という問題を見つめていくことも非常に重要になってくるのではないかと私は思います。そして、その中で社会の問題の取り上げ方、心の触れ合いの問題の取り上げ方、そういうことも同時に積み上げていくことが非常に重要になってくるのではないか。教育ではそれが不足しているので、そういう面を強い形で盛り上げていくことが、これからの安全教育の1つではないのかなと思っております。

【長尾学長】  ありがとうございました。実は、昨日夜7時半からNHKの関西版で、附属池田小学校の被害クラスの子どもたちが友達が亡くなったということをどういうふうに乗り越えていくのかということについて、担任の教師がさまざまに苦闘しながら、死の教育も含めて苦闘していったドキュメントを30分やっておりました。あの事件を通して酌み取るべき課題の大きさ、あるいは深さと多様さを私も感じたところだったわけでございます。
 あと、そろそろ5分ずつという形で終わってもいいんですが、私、こっちから見てても非常に熱心に参加していただいているように思います。フロアからのご質問は予定しておりませんでしたが、もしもご質問やご意見がございましたら、挙手いただきまして、もしもあればお受けしたいと思います。フロアの方でございましたら。

【参加者A】  先ほどから聞いておりまして、議論が地域やいろいろなことに広がっていますが、この問題は学校の問題だと思うんです。学校はその時どうしたか、それまでどうしていたか、その後どうしたのかということがなければ話にはなりません。資料を見たら、ハード面で学校の校舎がいろいろと変わってきたことは書いてありますけれども、先生方の組織の中で、あの事件以前はどうだったのか、そして、その日、ここには、1年生の先生がどうした、2年生の先生がどうしたと書いてありますけれども、3年生の先生、4年生の先生、5年生の先生、6年生の先生がどうしたとは書いてない。副校長がどうしたとは書いてない。校長がどうしたとは書いてない。附属小学校はそういう組織であったのか。私は池田小学校とは言いませんよ。附属小学校と言います。そこを一番の問題にしないことには、亡くなられた8人の子どもはかわいそうですよ。地域に広げたり、いろいろするのも大事でしょう。だけど、学校は本当はどうだったのか。
 私も学校の校長をしていました。あの事件よりずっと前に、地域に学校を開くということをしてきました。そのときにしたのが校門を閉じるということです。何故かというと、私が校長をしていた学校の校門は、運動場から下がって門があるんです。もし運動場で遊んでた子どもがボールを追いかけていって、門の外へ出て車と事故を起こすと大変だと。あるいは、外部からさまざまな方が学校に入ってきて、直接教室まで行ったりしてたんです。それを取りやめた。職員室に来てもらう。それから、親にも「忘れ物を教室に持っていくな。事務室に持ってきてくれ」とお願いしました。学校が把握していないところで、学校の中を歩く人があっては困ると、こういうことでやったんです。
 ところが、あの事件があったときに新聞はどう書いてたか。学校開放をしていたからだと。附属小学校が学校開放していたとは私は思いません。ただ校門をあけていたら学校開放やというふうな意識が新聞社にはあったのでしょう。だから、あんなことを書いている。おかしいと思いました。
 だから、そういう意味で、学校はどうしたのかということをしっかりと押さえておかないことには、子どもたちに祈ってないと、こう思うんです。

【長尾学長】  ありがとうございました。そのことは原点に関わることですので、深く受けとめるべきだと思っております。
 他にございますでしょうか。

【参加者B】  私は、保護司をしております。今日の講演を聞いておりまして、安全のためにこういうことをさせない、ああいうことをさせないという話がほとんどでございました。ことわざに「稲は1年、木は50年、人は100年」という言葉がございます。しないということをさせるということは100年計画だと思いますが、やはりもとに戻って、しないという教育の仕方も、市長がおっしゃったように、非常に長期にわたりますけど、こういうことを今改めてやるということも大変必要なことではないかと私は思いました。

【長尾学長】  ありがとうございました。
 そろそろということになりましたので、基調講演、それから、相互にパネラーのお話を聞かれて、本日のメーンテーマでございます「安全・安心なまちづくり、学校づくり―世界への発信―」というテーマに再度立ち返っていただきまして、補足と申しますか、ご発言をいただければと思います。
 どなたという形で指名したほうがよろしいでしょうか。それでは、倉田さん、一番先で、あとは順不同で行きましょうか。

【倉田市長】  長尾先生も私も、今日のこのシンポジウムに臨むに当たって思っていた状況と若干の違いがあったのかなと思っています。ひょっとして私だけかもわかりません。池田の小学校の校長先生、1、2名いますね。教育長も来ています。議員さんも4人お見えです。教育委員会の職員もおります。元校長もおります。附属池田小学校の先生も、おそらくたくさんいらっしゃるのかなと思います。でも、このプログラムの予定を見ますと、今日、ここは満員になったらいかんので、満員の場合は小ホールで画面で見ていただけるように想定していましたが、残念ながらそのようにはなりませんでした。
 そういった意味では反省をしながら、あしたからまた新しい第一歩をヒューマンネットワークで、原点に立ち返って取り組んでみたいということで、私の話を終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。(拍手)

【長尾学長】  それでは、衞藤さん、よろしくお願いします。

【衞藤氏】  私は、大体、今までの中でお話しすべきことは話してしまったので、特に最後にこれということはないのですが、今日のシンポジウムというのはどういうことを期待されて、皆さんお集まりいただいたのか、かなり幅があるということも私は感じております。
 私は、一般的な法律の話とか、仕組みという方から見ていて、やはり学校が子どもたちにとって、あるいは保護者の方にとっても教職員の方にとっても安全で安心に過ごせる場所にするにはどうしたらいいか、日本全国でそれをどういうふうにしていくかということに大変関心があって、そのためには、1つは地域の方々との協働ということが大事だろうと思っております。それがどういう形で実際につくられていくのか、ある程度法律の枠組みはできたのですが、それがどう展開されるのかというのが、いろんな事例ができてくればいいなと思っております。
 この池田市においては、やはり池田市と大阪教育大学が共催という形でこういったシンポジウムを開けたということがとても意味のあることだということを私は感じております。ありがとうございました。(拍手)

【長尾学長】  ありがとうございました。
 それでは、平田さん、お願いいたします。

【平田氏】  今日の話も伺っていて、やはり、あの事件が起きるまでは、市長もおっしゃったように、附属小学校と地域のつながりが非常に薄かったということはあったと思います。そして、それが少しずつ関係を改善していく、この10年だったんじゃないかと思うんですね。そのことは決して対岸の火事ではなく、やはり私たち大阪大学も、どうしてもキャンパスが豊中市にあるものですから、これまではそういったことを積極的にやってこなかった面があると思うんです。防災、もちろん防犯もそうなんですが、特に災害などが起こったときには、うちの学生たちは、この地域の方たちにほんとうにお世話になると思いますし、また、私たち大学が貢献できることもあると思っておりますので、今日のことは本当に勉強になりましたし、ぜひ、今後、このことを生かしていきたいと感じました。(拍手)

【藤田氏】  私の方からは、安全教育に携わる者として、基本的には子どもたちに対して安全を経験した子どもは信頼を覚える、だから、子どもたちに対する関心を失わない、そのための教育としてはいかにあるべきなのか。特に犯罪ということを念頭に置けば、そういった犯罪を起こす加害者をつくらない、被害者をつくらない、また、そういった犯罪が起こる環境をつくらない、そういうことに気づく子どもたちの能力の育成というものを目指した教育について今後やっていきたいなと考えています。どうもありがとうございました。(拍手)

【長尾学長】  ほぼ予定の時間となりました。10年を1つの節目にしてということで池田市と本学が共催という形で行わせていただきましたシンポジウムでございます。わずかな時間でございましたけれども、パネラーの方、フロアの方を含めて、10年を節目にして、もう一度立ち返るべき原点が何かということ、そして、これから進むべき方向が何かということ、そういうことについて貴重なご意見あるいは討議をいただいたかと思います。
 大阪教育大学は、これを新たな出発にして、再度、学校の安全について取り組んでいきたいと思っております。本日は、どうもありがとうございました。(拍手)

【司会】  パネラーの皆様、大変ありがとうございました。会場の皆様もありがとうございます。
 それでは、最後に、大阪教育大学理事の成山治彦より閉会のごあいさつを申し上げます。

 

閉会挨拶


【成山氏】  長時間、どうもありがとうございました。大変熱心に4時間近くご参加いただきまして、また、シンポジウムの先生方、どうもありがとうございました。基調講演を頂いた齋藤先生も、どうもありがとうございました。
 少し時間をいただきたいと思いますけれども、今も会場からご指摘がありましたように、学校の安全ということについて考えるところ、非常にたくさんあったように思います。
 齋藤先生のお話にまずあったのが、学校の安全というのは、何かが発生してから考え、必死になるんだということでした。確かにそうだと思います。想定外、予想もしなかったことが起こるという感覚だろうと思うのですね。しかし、先日発生した東日本大震災でもそうですけども、想定外では許されないことであり、起こってからでは遅いんだと思います。安全だという思い込みや、あるいは、安全に対する過信が大きな危険あるいは大きな悲しみを生んでいるのではないかと思うわけです。
 同時に、風化させてはならないという言葉もありました。忘れてはいけない、忘れさせてはいけないということであります。しかし、日常生活はどんどん続いていきます。事件そのものは非日常的な出来事ですから、日常化することによって人々の記憶から遠ざかっていく危険性はつきまとっているわけです。つまり、この日常化が無関心という事態を招くとすれば、大きな過ち,悲しみを再び生み出すに違いないだろうと思うのです。
 では、どうすれば忘れない、忘れさせないのかということが大きな問題だろうと思います。その意味では、思いを共有できるかどうかだろうと思うのです。その思いと何かというと,それは3つあると思うのです。
 1つは、やはり犠牲になられた8人の子どもたちの思いであります。将来に対する夢や希望を抱いていたであろう、この子どもたちの将来が奪われたわけであります。その無念さを共有できるかどうか。
 2つ目は、遺族の思いであります。節目の年を迎えても、時はあのまま止まっている。その後、同じような子どもたちを見ても、やはり、今ここにあの子はいないのだという喪失感、あるいは深い悲しみ、そういうものに遺族の方は見舞われているだろうと思うんですね。しかし、頑張って日常化の中にもいらっしゃる。この遺族の思いを私たちはどれだけ共有できるかどうか。
 3つ目は、先ほど厳しいご意見をいただきましたけれども、附属池田小学校の当時の教職員の思いであります。この10年を境に、ようやく校長をはじめ、教職員がその思いを語り始めております。逆に言えば、その思いをなかなか語り得ない、そういうつらさがあっただろうということです。片方では被害者でありながら、同時に子どもたちを守りきれなかった悔しさ、無念であります。その無念と葛藤しながら、今、語り伝えていかなければならないという決断をされたわけであります。佐々木校長は、ある新聞の中で、「語り伝えることはつらいけれども、亡くなった子どもたちとの約束なのだ」と述べておられました。まさしく、そのような教職員の思いと私たちはどれだけ思いを共有してつながっていくことができるかどうかだろうと思っています。
 しかし、残念ながら、今日の現代社会は危険がいっぱいであります。齋藤先生がおっしゃったように、交通事故や大災害などを同一次元で考えることはできませんけれども、子どもたちが安全・安心に暮らせる現代社会ではないように思います。それでは、これから私たちは子どもたちの安全・安心のために、大人として、あるいは学校の教師として、行政として、どういうことができるのかということを真剣に考えなければならないだろうと思うのです。
 このトークセッションの中では、地域社会のあり方について、学校の組織のあり方、教職員のあり方、心の教育のあり方、あるいは事件・事故を起こさせない教育のあり方について言及されました。しかし、まだ問題提起の段階だろうと思います。そういう問題に対して私たちが、先ほど申し上げた3つの思いを共有しながら、投げかけられた問題について、それぞれの立場でこれから答えを出すために悩み、苦しみ、考えていきたいと思います。このような思いを皆さん方と共有できれば、今日、このフォーラムを開催させていただいた意義があったのだと思います。
 長時間ご一緒いただきましたことに感謝申し上げまして、閉会のあいさつとかえさせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)

【司会】  どうもありがとうございました。
 これをもちまして、本日のプログラムはすべて終了いたしました。皆様、ほんとうにありがとうございました。
 先ほどもご案内申し上げましたように、アンケートをお願いしておりますので、ロビーのほうで受け付けております。恐れ入りますが、アンケートをご記入いただきまして、回収をさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。お忘れ物などございませんようにお気をつけてお帰りくださいませ。なお、2階のロビーとコンベンションホールで行っております展示につきましては、この後17時30分まで行っておりますので、お時間の許す方はごらんいただきたいと思います。
 今日は、ほんとうに長時間、ありがとうございました。