教育現場と学生の橋渡しに
教職教育研究センター
岡田 耕治 教授
「恋い焦がれた人に再び出会うことができました」。大阪府岬町で生まれ,岬町で育った岡田耕治青年は,母校の中学校に採用された着任の挨拶で,こんなとびきりの第一声で,国語教師として歩みを始めました。途中,教育行政の世界を経験した後,再び現場に戻り,今年の3月まで小・中学校の校長を務めました。38年間,教育一筋にささげた人生を「毎日失敗の連続ですよ」と前置き,とっておきの失敗談を語り始めました。
「ソフトボール地区大会の決勝の最終回、4点リードもピンチが広がり満塁の場面。監督のわたしはタイムをとり,『ホームランを打たれても同点だ,楽に行こう』と子どもたちを励ましました。その直後ですよ,ホームランを打たれたのは」。チームはそのまま逆転負け。「今思えば,あのときタイムをとったことで選手に動揺が生まれてしまった。プレーを続行していたら勝っていたでしょうね。それからわたしは準優の岡田と呼ばれるようになりました」と苦笑い。
しかし,と切り出し「準優の岡田は子どもを主人公にしたチーム作りにシフトしてから,優勝の岡田へと変貌を遂げます。通常,監督が打者に声かけするのは,プレー後,ベンチに戻ってきたときです。そうではなく,ネクストバッターズサークルに立つ前に声をかける。ランナー2塁の場面で,『この後送りバントが決まればどうする? 初球をねらって打つか、それともスクイズを決めるか?』と選手自身に考えさせるのです。教育学者D.ショーンの言葉に「行為の中の省察」があります。行動しながら常にそれを顧みるという意味ですが,これはまさにその実践なのです」。
教授としての初授業でもこの鉄板ネタから入り,そこで熟練の授業テクニックも披露します。「『これがあったら絶対教師としてやっていけるスキルは何か?』,ふつうならここで少し間を取って,『行為の中の省察』と結論を述べます。でも,わたしは間を取る代わりにこの模造紙を貼ります」と達筆の筆文字を見せました。「授業で一番大事なことは,いかに学生の視線をこちらに向かせるか。プレゼンテーションソフトでは画面を切り替えてもここまで誘導できません。模造紙を貼って視線を誘導し,そこから一人ずつ丁寧にアイコンタクトをとっていく。模造紙は最強のプレゼンテーションツールなのです」と力強く断言します。
かつて校長時代には,荒れた学級の隣に校長室を移し,騒がしい教室に自ら乗り込んだり,集団で勉強しづらい子どもを預かったりと,常に子どもの心に寄り添ってきた岡田教授。そんな観察眼のプロが見る本学の学生は「親や教師を困らせないまじめで素直な子たち」。ただ,「その分挫折が少なく,生きるのに必死で勉強どころではない子どもたちに,教師としてうまく接していけるのか不安を感じているよう」と推察します。現場の教師たちはいったい何に悩み,喜びを見出しているのでしょうか?その答えは,岡田教授が立つ,もう一つの教壇にありました。
大阪狭山市では,若手教員を対象とした教師塾を開講しており,岡田教授は講師として,アイコンタクトの取り方,表情の作り方など,自らの経験を活かしたプログラムを提供しています。「講義の終わりに毎回アンケートを書いてもらいますが,先生たちの心の内がよくわかります。それを大学で学生に伝え,教師としての構えを養わせています」と現場と学生をつなぐ橋渡し役を担っています。そして,「つらいこと,苦しいことがあれば,いつでも相談できる我が家のような存在でありたい」と温かいまなざしを向けました。
趣味は俳句で,校長時代には俳句ポストを設けて子どもたちの作品を選句し,全校集会で優秀作を発表していました。その中の一作「こいのぼり風にふかれて歩きだす」は金賞に輝きました。「『泳ぎだす』と紋切り型の表現で満足してほしくない。子どもたちの自由な発想を引き出せるような,枠にとらわれない教師を生み出したい」と語るその瞳は輝いていました。