事件の概要
大阪教育大学教育学部附属池田小学校に出刃包丁を持った男1名(宅間 守被告人)が、平成13年6月8日(金)の2時間目の授業が終わりに近づいた午前10時過ぎころ、自動車専用門から校内に侵入し、校舎1階にある第2学年と第1学年の教室等において、児童や教員23名を殺傷した。
平成13年9月14日大阪地方検察庁は、被告人を殺人、殺人未遂、建造物侵入及び銃刀法違反で、大阪地方裁判所に起訴した。
【犠牲者】 8名[1年男子児童1名 2年女子児童7名]
負傷者 15名[児童13名(男子5名 女子8名) 教員2名]
事件の経過
平成13年6月8日午前10時過ぎころ、犯人は自動車で附属池田小学校南側正門前に至ったが、同所の門が閉まっていたことから、そのまま通り過ぎ、同所から離れた自動車専用門に至り、開いていた同小学校専用門の前に自動車を止め、出刃包丁及び文化包丁の入った緑色ビニール袋を持って、同専用門から同小学校敷地内に立ち入った。
2年南組の担任教員は、体育館の横で、犯人とすれ違い軽く会釈をしたが、犯人は会釈を返さなかったので、保護者でもなく教職員でもないと思ったにもかかわらず、何らかの雰囲気を察して振り返るなど、犯人の行く先を確認せず、不審者という認識を抱けなかった。
犯人は、10時10分過ぎころ、2年南組テラス側出入口から担任教員不在の2年南組教室内に入り、出刃包丁で5名の児童を突き刺し死に至らしめた。
犯人は2年南組の教室テラス側出入口からテラスに出て東に隣接する2年西組の教室に向かい、10時15分ころテラス側出入口から同教室に入った。
当時2年西組では、児童全員前を向いて座り、担任教員は犯人の侵入方向に向いて教卓の席に着いていた。
犯人は教室に侵入する際大きな物音をたてたが、2年西組の担任教員は気付かなかった。 犯人は侵入したと同時に、3名の児童を次々と突き刺し、うち1名を死に至らしめた。
犯人に気付いた、2年西組の担任教員は、悲鳴をあげ、校内放送を用いて誰かに知らせようとしたが、利用を停止した。その後、同教員は、犯人が児童に向かって包丁を突き刺すのを見たが、児童の避難誘導をせず、警察へ通報するため廊下側前のドアから出て事務室に向かって廊下を走った。
途中、同教員は、廊下で倒れて苦しんでいる児童(この2年南組児童は他の教員がかかわるまで約6分間放置の状態であり、その後死亡した。)を見たが、そのまま事務室に飛び込み、10時18分(警察より確認済み)、110番に通報した。
同教員は、事務室にて110番に通報した際、警察に事件の詳細を聞かれ、対応に時間がかかった(約8分間)。そのため、警察からの救急車の依頼が遅くなり、警察が、救急車を要請したのは、通報を始めてから5分後であった。
同教員不在の間に、犯人は逃げる児童を追い回し、教室内、出入口付近、廊下で5名の児童を突き刺し又は切り付け、うち1名の児童を死に至らしめた。
次いで、犯人は、2年西組教室後方廊下側出入口から廊下に出て、東隣にある2年東組に向かい、10時15分過ぎころ、2年東組廊下側出入口から教室内に入り、児童2名を出刃包丁で突き刺し又は切り付けた。
犯人は、教室内で状況を見た2年東組の担任教員から椅子を持って追い掛けられたことから、テラス側出入口に向かって逃げたが、その途中で教室後方にいた児童1名と、さらに同出入口付近で別の児童1名を突き刺した。
犯人は、教室テラス側出入口からテラスに出たところ、通り掛かった1年南組の担任教員にタックルされ、取り押さえられそうになったことから、同教員を殺害しようと考え、出刃包丁で突き刺した。
その際、犯人は2年東組の担任教員から椅子を投げ付けられたものの、これを意に介さず、テラス上にいた児童を見付けて、その児童らを西方向に追い掛け、10時20分ころ、犯人は、1年南組教室内に児童の姿を認め、同教室テラス側出入口から同教室内に入った。
それまでの間、3名の教員が1年南組の横を通過したにもかかわらず、1年南組にいた児童に危険を知らせ、避難するように声かけできておらず、避難誘導が行われなかった。
犯人は、1年南組教室テラス側出入口から担任教員不在の1年南組教室内に入り、出刃包丁で3名の児童を突き刺し又は切り付け、うち1名を死に至らしめた。さらに、別の児童1名を同教室テラス側前方に追い詰め出刃包丁で突き刺した際、駆けつけた2年南組の担任教員に背後から出刃包丁を持っている右腕をつかまれたが、同教員目掛けて出刃包丁で切り付け、引き続き、出刃包丁を左手に持ち替え、倒れている同児童を突き刺した。
犯人は、10時20分ころ、2年南組の担任教員及び副校長によって殺人未遂の現行犯人として逮捕され、間もなく、現場に到着した警察官に引き渡された。
犯人を取り押さえてから犯人確保までの間、学校全体としての状況把握と組織的な対処行動ができなかった。死亡した8名の児童は即死ではなく、救命活動の遅れが死因に直結する失血死である。児童に対する組織的な避難誘導、救命活動、搬送処置が行えず、被害を最小限にくい止めることができなかった。
負傷児童の氏名、場所、人数、負傷の程度の確認など、学校全体としての状況把握ができず、救急車に付き添うよう申し出た教員もいたが、管理職や教務主任は、混乱の中で事件の全容をつかめず、20分前後も放置され既に致死的な状態になっている負傷児童の搬送に、ほとんどの教員が付き添うことができず、また、保護者への児童の搬送先病院の連絡が大きく遅れてしまった。
そのため、事件直後、ある死亡児童の保護者は早い段階で来校したにもかかわらず、学校内で負傷していた児童に会うことができず、自力で探し回った病院で既に死亡した我が子と対面することとなった。また、事件後において、学校からの説明や弔問が遅れ、教員の心ない表現、発言、行動が遺族の心を大きく傷つけた。
(注)事件の経過については、『平成13年12月27日、宅間守被告人の初公判における「冒頭陳述」(大阪地方検察庁作成)』、『平成13年11月8日付け、大阪教育大学教育学部附属池田小学校長作成「I.学校の教育責任に関する反省点(事件後5ヶ月時点)」及び「II.事件の経過および教職員の行動と課題」』からの引用又は要約したものである。