エッセイ

高等学校
2021/01/04
向き合うこと
 

私が教諭として初めて赴任した高校は、自宅から離れた土地勘のない場所にありました。当時は1クラス48人定員で各学年12クラス、体育館で全校集会となると、フロアが生徒でいっぱいになりました。 新規採用の教諭は私を含めて4人、私は生徒指導部で常駐8人のメンバーの一員です。入学式が終わって1週間も経たなかった頃、「○○中学は天井に穴が開いていたなぁ」と、数人の生徒たちが、教室前の廊下の天井をほうきの柄でボコボコにし、置いていた消火器を廊下に撒き散らしました。

校内での喫煙は毎日のようにありました。「メンチを切った」と急に殴り合いが始まることもありました。

どんな時も先生方の動きはとても速く、関係する生徒と徹底的に向き合い、「いつ、どこで、だれと、何を、どうした」と、そして、「なぜしたか」についてとことん話を聴きました。白を切ったり、食ってかかったりする生徒もいましたが、先生方のチームワークはばっちりで、いろいろな先生が話をするうちに素直になり、「先生ごめんなさい」と言って、反省文を書き出したものです。

メインの課題は原稿用紙10枚の反省文。特別指導で家庭訪問に行き、その進み具合を見ながら、いろいろな話をします。反省文は、先生に「読んでもらう」ためではなく、自分について内省するために書き記されたものでした。やんちゃばかりしているのに、ばあちゃんには、とても優しい生徒もいました。家に入り、家族とも話をして、生徒の内面に初めて気づいたこともありました。どんなに悪い事をしても、そこには必ず理由がありました。すべての生徒には、必ず何かしらの課題があるものです。大切なのは、「先生が一人ひとりの生徒に対して気づこうとしているか」、ということです。

初めてクラス担任をした時は、今でもよく覚えています。初対面の生徒の顔と名前を全員覚えてやろうと、入学志願書の顔写真を必死で覚えたこと。毎日、夜中に学級新聞を書き続けたこと。文化祭では、7mの大きなウルトラマンを夏休み中せっせと皆で作ったこと。日曜日に男子を集めてソフトボールのダブルヘッダー。翌朝の新聞に「○○くん大活躍」の大見出し。勉強が苦手でもスポーツが得意な生徒たちの、はにかむ笑顔。私もちゃっかり猛打賞。辛いこともたくさんありました。自分の都合を優先し、生徒に少しでも不誠実な態度で接してしまうと、生徒は簡単に見破ります。そしてそっぽを向きます。先生が、とことん生徒と向き合うとき、「生徒の人生を一緒に背負う」という覚悟を持つ場合があることを知りました。

私は高校生のとき、「皆が幸せを感じて生きることができるような仕事がしたい」と思っていました。具体的にそれが何の職業かわかりませんでしたが、生徒と一緒に過ごしながら、「幸せに生きるとはどんなことか」を考え続けられてきたことを思うと、いい仕事に就けたものだと思っています。そしてもう一つ大事なことは、先生になったら、どんな学校でも授業(教科指導)を第一にしなければなりません。

ある時、「あなたはトンボを追いかけたことがありますか」など自然体験に関するアンケートを取ったことがありました。すると、授業の終わりに、やんちゃで勉強の苦手な生徒が満身の笑みで走り寄ってきて、「先生、今日の『テスト』は全問できました!」と大声で言ったのを思い出します。その生徒には、大きなマルと、100点を書いて「凄いなぁ。偉いね!」と返しました。これがどういうことか、先生としての責任は大きいと思っています。