エッセイ

高等学校
2020/12/18
立ち会える瞬間求め教壇に立つ
 

井上雄彦『SLAM DUNK』22巻に、次の一節がある。

  桜木花道

  オヤジの道楽に つきあってるわけにはいかねーんだよ

  安西監督

  道楽……… 道楽か… そーかもしれんね
  日一日と… 成長が はっきり 見てとれる この上もない 楽しみだ

(『SLAM DUNK』22巻、pp.164-165、1994年、集英社)

 

主人公の桜木花道が安西光義監督に引き留められ、一人遠征に行けず、体育館でシュート練習を続けている場面である。一人の人間が成長する瞬間に立ち会える。何と教師冥利に尽きることではないだろうか。

忘れられない思い出がある。現在所属する教育大学に勤める以前、非常勤講師として勤めていた高等学校でのことである。彼は高校3年の1学期まで部活動に邁進しており、お世辞にも私の担当する現代文を含め、勉強に一生懸命だったとはいえなかった。

そんな彼も高校総体が終わり、自分の進路を真剣に見つめる時がきた。周囲が高校生活最後の夏を楽しんでいた8月半ば、彼は一人、職員室のドアを叩き、私の前にやってきた。

○○大学が自分の学びたい学問分野と合致していて、11月に公募推薦があるんです。小論文の試験があって、過去問を解いてくるので添削していただけませんか、と。

正直にいえば、これまでの成績や勉強に対する姿勢、試験日までの準備期間から合格は難しいように思われたが、過去問題の答案をもってきてもらい、添削指導を行うことになった。

とはいえ、はじめの答案は白紙だった。課題文すら、どこをどう読めばよいか、分からないようだった。普段の私自身の指導不足を裏で痛感させられながらも、一語一語の意味を根気よく押さえて読むことや、異なる視点から把握できないか、日常生活の中に課題文で取り上げられた現象との類似点はないか等、黙考させたり、時には彼と一緒に具体例を考えたりした。

彼は私の出講日の放課後、必ずやってきた。そして2ヶ月が経った頃、添削を始める前の雑談で、彼はこう言った。

「今日解いた過去問の文章が取り上げていた最近の日本の社会問題の話、今日の世界史の授業で出てきた西洋の歴史問題と同じだと思ったんですよね。」

その言葉を聞きながら、私は、背中の中心から熱いものがじわじわと湧き出てくるのを感じた。それは肩甲骨を通り、首、そして頭へと、波を打つように徐々に上っていき、最後の一波が頭頂部を抜けると、消えた。私は、彼が、彼自身の力で、深い学びを得た瞬間に立ち会えたのである。私が彼に直接できる役目は終わったと思った。12月半ば、彼は合格した。

私は、教師という職業の良さを、担当する授業やゼミで初めて述べる時、必ずこの時のことを取り上げている。

「冥利に尽きる」とは、「これ以上のしあわせはない」(『三省堂国語辞典第七版』)という意味である。そして、「教師」とは、人間が成長していくさまを、直接見続けることのできる職業である。

「教師冥利に尽きる」

いつ来るか分からないその瞬間に立ち会える可能性があるからこそ、私はこれからも一教師を続けていくのだろう。