エッセイ

専修学校
2020/11/04
学生の将来を見据えた教師の言葉

随分昔の話ではあるが、NHKの番組で、ある漁師の家族が取材されていた。

代々、カツオの一本釣りを生業にしている一家で、祖父も父親も漁師だった。高校3年になる長男も小さな頃から祖父と父親の手伝いをしており、高校を卒業すれば漁師になる事が決められていた。そこに長男の担任の教師が、成績の良い長男に大学進学を勧める。祖父も父親も漁師に学問は要らない、と担任の希望をはねつける。それでも担任は進学を勧める。父親は、「息子が進学したら俺達家族にとって、何かいい事があるのか?」と、担任に問い、祖父は、「要らない知恵がついて、孫が漁師を放棄したら、あんたは責任が取れるのか?」と担任を脅す。それでも、担任は「教師として、どうしてもこの子は進学させにゃならん、と心の声がするのです!」と食い下がる。結局、担任の熱意が祖父と父親を動かし、息子は地元の国立大学に進学し、その後大学院で研究を始める。息子は大学院でカツオ魚群の画期的なソナーを開発し、地元のカツオ漁業業界を大きく牽引した。

担任の一言が無ければ、この開発は無かった。「カツオの一本釣り漁師になります。」と言う生徒に、「はい、分かりました。」と教師が答える事は簡単である。そこに、教師の主観が介入する事は、言う方に責任が出来、責められる事さえ出てくる。それでも、「教師としての心の声が、それではいけない、と言う。」と、言える教師がどれだけ居るだろうか。すぐには結果が出ずとも、生徒の将来に心底寄り添える、こんな教師になりたい、と、この番組を見て思った。

その後、私は、専門学校でスポーツ専門コースの担任になった。

Yさんという学生は、スポーツが大好きで、スポーツインストラクターとして就職する為、このコースに入学した。専門学校の2年目に全国規模のスポーツ大会に出場し、その活躍が大学の目に止まった。

異例の大学編入の申し出があり、私はYさんに編入を勧めた。Yさんは、就職の為に専門学校に来た訳だし、更にもう2年間の大学費用はもったいないので、行かないと言う。私は、Yさんは絶対、大学に行った方が良い、と思った。インストラクターは、大学を卒業してからでも遅くない。まず、Yさんの親に連絡してみた。Yさんの親は元々、大学に進学させたかったのだが、Yさんが頑固で叶わなかったとの事。なので、大学編入の申し出は是非受けたい、と言われる。

後はYさんの説得。Yさんが、「どうして先生はそこまで僕に大学を勧めるの?」と、問うので、私は、思わずこう言った。「もしも、Yさんに彼女が出来た時、その子の親が社長さんやったらどうする?結婚相手が大学も出とらん、ってYさんの彼女が父親から責められるかもよ?」と言うと、Yさんは、「ほんと、先生って発想が面白いよなあ。」と笑った。私は更に言葉を続けた。「それに、Yさんの親が大学の学費を惜しまないって言ってくれた事が大きい。せっかく学費を出してくれる親御さんが居るんだよ。大学に行きたくても行けない学生が沢山居る。それに、大学って勉強だけでなく、沢山の人脈を作る事が出来る、究極の場所なんだよ!将来、その人脈がYさんの人生の宝になる!」と私が言うと、「分かった。そこまで先生が言ってくれるんだったら、行くよ!大学に!」と言う事で、Yさんは大学に編入し、部活で大いに活躍し、大学卒業後、スポーツインストラクターとして、海外就職を果たした。

そして、それから10年後、私が言った事が本当になった。海外で知り合ったYさんの結婚相手は、日本で幅広く事業をしている社長の娘さんだった。将来は、義父の事業を手伝う可能性があり、学歴は必要だった。

結婚式当日、Yさんから「先生、あの時、僕に大学編入を勧めてくれて、本当にありがとう。」と、言われ、胸がじん、とした。そして、Yさんの人生に、教師として少しばかり貢献する事が出来た事が嬉しかった。

私の教師冥利につきる一コマの話である。