エッセイ

高等学校
2020/08/31
生徒の心に灯をともす

高校3年生までの私は「先生に言われたことはしなければならない」くらいのレベルで勉強をしていました。「勉強したい」と思ったことはなく、「なぜ勉強をするのか」ということを考えたこともなかったです。

そんな私を変えたのが高校3年生の日本史の授業でした。それまで年表とその時代の出来事を覚えればよい、と思っていた私には衝撃でした。「歴史の進歩とは何なのか」を1年間のテーマに据えて授業は進みました。毎回授業の初めには「今日の新書」として黒板の右端に書物を紹介してくれました。この授業を受ける中で「自分は何も知らないことがわかった。やっぱり勉強ってせなあかんねや」と心底思いました。そして、新書を読み始めました。

それからは、日本史以外の授業も前向きに受けるようになり、真剣に勉強するようになっていきました。こんな私の変化を私が見て思ったのです。子どもに「勉強すれば知りたいこと、わかりたいことが次々と出てくる。勉強にはこんなおもしろさがあるんだ」ということを伝えたいと。

その後、教師になるために大学へ行き、高校の教師になりました。私は政治経済を担当し「憲法とお金」を軸に授業を構成しました。教壇に立っていた間は「そうかぁ、勉強ってせなあかんねや」と気づかせる授業づくりに一生懸命でした。その授業が良い授業になるかどうかは事前の準備にかかっています。できる限り時間をつくって教材研究と授業案づくりに励んでいました。

さて、肝心の授業はどうであったのか。ほとんどの生徒が真剣に私の話を聞いている。班に分かれた話し合いでは自分の言いたいことを言い、友だちの話を聞いている。そして自分の考えをまとめて発表できている。このような授業ができたのは3割程度ですが、その時の生徒の表情は生き生きと輝いているように見えました。そして、チャイムが鳴ると「もう終わりか。早いな。」という声が聞こえてきます。こんな時、私も充実感でいっぱいであり、仕事への意欲がますます湧いてきました。

もう一つうれしかったのは、私の授業を受けて「働く前に知らなあかんことが多い」と気づき、より一層授業を真剣に受ける生徒が出てきた時です。このような生徒の変化はすぐにわかります。それまで授業を聞いているだけであったのが質問するようになり、授業後でも職員室まで聞きに来るようになるからです。この時が一番うれしく、「教師冥利に尽きる」と思う瞬間でした。

教師としてのやりがいは種々あります。私は、生徒の心に「やっぱり、勉強はせなあかんねや」という灯がともる時に最大のやりがいを感じ仕事をしてきました。やりがいで職業を選ぶのであれば、私は「教師」をお勧めします。