エッセイ

高等学校
2020/06/18
自立への歩み

私は、体に重度の障害がある生徒の担任をしていたことがあります。電動車椅子を操作する手は力なく、授業ではお母さんが横に座ってノートを取っていました。本人もゆっくりなら何とか書けるのですが、それまでずっとそうしてきたのでしょう、それが当たり前の光景になっていました。

地方のごく普通の県立高校で、バリアフリーの施設は当然普通程度かそれ以下ぐらいしかありませんでした。それまでずっと周囲の大人が気を配ってきたからでしょうか、自分から周囲に声を掛けることは少なく、声も小さい。職員室に入るときも、声を出す前に、「どうしたの?どなたに用事なの?」と声を掛けてもらえ、その先生が拡声器となってくれるため、大きな声を出す必要がありません。先生に声が届いたら、その先生が入り口まで来てくれますので、職員室に入る必要もありません。

そんなとき、お母さんから学校のバリアフリー化について相談がありました。保護者としてそれは当然の要望ですが、果たしてそれだけが本当に彼に必要なことだろうかと考えました。学校施設のバリアフリー化の充実は要望すれば実現は難しいことではないでしょう。でも、一歩外に出れば、日本でもまだまだ不自由だらけです。一番困っている場所は体育館の2階にある柔道場だとお母さんは言います。それまでどうしていたのかと彼に尋ねると、「友だちが車椅子を抱えて連れていってくれている」と。

そう、それ!やつらがいるじゃん!確かに事故には気を付けなければいけませんが、彼はこうやってこれからも周囲の力を借りて生きていかなければなりません。「彼なりの自立を考えましょう」と伝えました。引き続き柔道場には友だちが車椅子を抱えて連れて行ってくれました。職員室は大きな声が出るまで待ちました。それだけで顔は真っ赤です。その後、車椅子がギリギリ通る通路をよいしょよいしょとさらに顔を真っ赤にしながら私のところにやってきます。周りの職員も通路の荷物をさり気なく片付けながら、優しい目で見守ってくれています。

職員室に入ったのは彼の人生でおそらくこれが初めてだったのではないでしょうか。ようやく私の席まで到着。用事を済ませると、また来た道を帰っていきます。
目に見えて前向きになってきたので、「もう教室では一人でいいんじゃないの?ノートを取れなかったら、友だちに見せてもらえばいいから。急なときは職員がいるから心配いらないよ。」と提案してみました。保護者と相談して、自立への歩みを決意した彼は、なんと登下校も自力ですることに決めていました。

そんなある日、お母さんから慌てて電話がありました。「下校中、線路で転倒して、首から掛けていた携帯電話も飛んでしまって、私たちに電話もできなかったんです!」「で、彼はどうしたんですか」「大きな声を出して助けを呼んだので、無事です」彼は、周りの力を借りながら、不自由と付き合っていくことを少しずつ克服していました。

その後異動となり、卒業まで付き合うことはできませんでしたが、その生徒は、「学校の先生になりたい」と、地元の大学に進んだと聞いていました。

ある日、勤務していた学校の卒業生の誘いで、街に出かけました。食事をしていると、数人の男性が車椅子を抱えて段差のある店内に入ってきました。「あー、彼もこういう楽しみを味わっているだろうか」と思っていたところ、「先生―!」という大きな声が聞こえてきました。「ご無沙汰してます!今日は、同僚と会社帰りに飲み会なんですよ。」 その後も若者たちの賑やかな声が店内に響いていました。