私の父方の祖父は小学校の校長先生で、祖母は小学校の裁縫の先生だった。私の父は次男坊で昭和17年に小学4年で健康優良児に選ばれ、一歳上の病弱な長兄と対照的に活発で、屋根に登ったり、色々危ない遊びに夢中だった。そんなとき、祖母によく諭されたのが、祖母の教えていた小学校で危ない屋根遊びをする子どもの叱り方だった。
「ええか。屋根に登ってるときに『危ない!』て言うたら子どももびっくりして落ちてまうんやで。その時は何も言わず、じっと見とくんや。ほんで降りてきたら、そこで何であぶないか、説明して納得させるんや。『ほんまや!危なかったわ。』と子どもがいうたらもう二度とせえへん。」
私はことあるごとに、父からこの話を聞いて育ったが、考えてみれば、私の父も、私が自分の意に反したことに夢中でも、すぐに怒らず、じっと観察し、熱が冷めたころに自分の意見をのべ、私の理解と行動変容を促していたように思う。父の教え子は小学生ではなく医学生だったが、若者の行動にも一定の理解を示し、じっくり話を聴いていた。
私は、大学院卒業後一貫して医学生と向き合ってきたが、特に学業以外に夢中で成績が低下し、学業の継続が困難な学生と多く接してきた。彼らは自分の夢中な事については実に生き生きと話をし、それをじっくり聴く事により彼らの人間的魅力を受け入れていると、信頼関係が出来上がる頃には、こちらの少しの助言をきっかけにして、何が自分に必要か気付き、行動を変容させ勉学に自ら向き合うようになっていった。
もちろん、半年で変容する学生、数年の留年をへて変容する学生あるいは、とうとう変容できず退学する学生もいたが、彼らが共通して語ったのは、「話を聴いて、自分を受け入れてくれる先生がいた。」という安心感だった。時間がかかろうとも「危ないことをしていた。」と自ら気付き話してくれた瞬間には、安堵と充実感を学生と共有できた。
現在、私は、学校の保健室の先生になりたい学生さんの学びのお手伝いをしている。様々な学生さんのなかには学業以外に夢中の学生さんも少なくないが、祖母の格言にならい、決して怒らず、しっかり見守っていきたい。