エッセイ

恩師への手紙
2020/08/24
30年伝えられなかった感謝の気持ち
 

M先生、本当にご無沙汰しております。最後に先生にお会いしたのは私が教育実習でお世話になったときですね。もう30年以上の月日が経ってしまいました。先生に報告したいことは色々あって何から話せばよいのか困りますが、4月から大学で教員を目指す学生に教えることになりました。
最近、学校ではいじめ・不登校などの教育課題が山積し、教職員の多忙化が報道される中、学生は、教師という仕事の実態を知れば知るほど果たして自分にその仕事をこなせるのか、不安に感じているようです。そんな学生に向き合うにあたって自分自身がなぜ教職を選んだのか考えるようになりました。これまで先生に直接お話することはなかったですが、自分が教師の道を選んだ理由を説明するのに生い立ちについて最初にお話した方がよいと思います。実際、公教育がなければ今の自分はなかったと思っています。

私は小学校1年生のときに母と死別しました。母のことは殆ど覚えていませんが器用な人だったそうです。その後、父と二人暮らしになりましたが、父は戦争を経験したせいか、宵越しの金は持たないタイプの人で、お金があれば煙草を吸いながら浴びるほど酒を飲んでいました。そんな不摂生でしたから私が高校2年生のときに亡くなりました。一人っ子であったため、その後、一人で暮らさざるを得ない状況でした。毎日の食事については、母が亡くなって以来、向かいにある教会でお世話になり、離れた所に住む親戚の協力も得ながら何とか生活することができました。 当時、自分は普通ではない家庭環境にあり、ある種、劣等感を持ちながら日々過ごしていました。何とも言い表しようのない孤独な日々でした。しかし、その一方で、自立し、自分の手で早く家族をつくりたいという夢を抱いていました。

自立した生活を送るには職に就く必要があります。高校生のときになりたいと思った職業は高校の英語教師でした。理由は単純で、当時TVの学園ドラマの中で描かれていた風変りだけれども、生徒に全力で向き合う教師に興味をもったからです。英語は好きでしたが、高校生になって経済的に余裕のなかった私にM先生は大学受験用の英語の講習を精力的にやってくださいました。そのおかげで浪人をすることなく希望の国立大学の外国語学部に進学できました。先生はいつも私からの質問に対して誠実に答えてくれました。疑問を持つことの大切さと学ぶ喜びを初めて実感できました。

大学では、私のような境遇にある学生は授業料の減免や奨学金を受けられ、生活費については、主に家庭教師や塾のバイトをすることで賄っていました。それ以外にも、当時、いろんなアルバイトをやりました。引っ越しの手伝い、居酒屋の店員、深夜の弁当詰め、百貨店の果物売り場の店員、工事現場の作業員など・・・。生活をするためではありましたが、バイトを通じていろんな経験をしました。
大学4回生になって、時代はバブルで日本の企業がどんどん海外に進出している状況でした。就職は売り手市場で、先輩や友人は商社、銀行、製薬会社、メーカーなどで内定をもらっていましたが、私は自分がそれまで恩恵を受けてきた教師という仕事以外考えられず、教職一本で勝負しました。教師ができるのであればどの県でもよいと考え、当時近畿でも採用人数が多かった兵庫県の高校の採用試験を受け、運よく採用されました。

赴任先のI高校の近くにアパートを借り、学校中心の生活が始まりました。多くの生徒が進学を希望し、クラブ活動にエネルギーを注いでいる学校でした。分かりやすい授業を行うことはもちろんですが、生徒の進路を実現するための講習も積極的にやりました。水球部の顧問になって、日が暮れるまで生徒とともに練習するなど、様々な活動に関わることで充実した日々を送っていました。
生徒一人ひとりにドラマがありました。一番うれしかったことは生徒が進路など自分の夢を達成できたときでした。一緒になって喜び合いました。逆にとても悲しかった出来事は生徒がバイク事故で命を失ったことです。自分よりも若い人が命を失うことほど悲しいことはありません。生徒を送り出す卒業の日、高校で様々な経験をして逞しくなって巣立っていくその時間の経過はその場にいた者にしか分からない教師のやりがいそのものであることをその時初めて体感しました。
兵庫県に4年間いましたが、気になっていたのは、ずっと空き家になっていた大阪の実家のことでした。帰ることができるのであれば帰りたいという思いもあり、大阪府の採用試験を受け直しました。うまく大阪に帰ることになり、以後、3つの府立高校で教師をやりました。仕事に対する姿勢は兵庫県にいるときと基本的に変わらず、何事にも全力を尽くしてきたと思っています。自分の人生にとって大きな出来事は、大阪に帰ってから、兵庫県の教師時代に知り合った講師の女性と結婚し、子ども2人を含む、4人家族を持てたことです。ここで自分の家族をつくるという夢が実現したのでした。

「公教育がなければ今の自分はなかった」と述べましたが、かなり大げさに聞こえたかもしれません。でも、そのように言っている訳を理解して頂けると思います。私がどうして教師の仕事に魅力を感じるのか考えたときに、教師という仕事は生徒の夢の実現のために“応援団”となって無償の支援を行い、生徒が少しでも成長したときにその成長を喜べるところにあるのではないかと感じています。本当に人間的な仕事だと思います。自分の経験は特異なもので、それを乗り越えなければならない運命だったのかもしれません。しかし、私自身はどちらかと言うと弱い人間で、困難が目の前にあれば避けたいと思うタイプです。そんな私が親や家族がなくてもやってこられたのは、学校や隣近所に信頼のできる大人がいて、気にかけてくれ、見守ってくれ、間違った方向に行こうとしているときには親身になって叱ってくれ、応援してくれたからだと振り返っています。先生方は、子どもたちがこの社会でうまく生きていけるよう導いてくださったのだと、自分が教師になって改めて実感しています。

M先生はあの時どんな気持ちで私に講習をしてくださったのですか?どうしてそんなに献身的になれたのですか?その時の先生のお気持ちを知りたいです。先生は多分「当たり前のことをやっただけだよ」と仰るかもしれません。先生が私に親身になってくださったように、私は高校教員として生徒のためにできることはすべてやってきたつもりです。そのような情熱はきっと教職を目指す学生にも受け継がれていくと思います。M先生、本当にありがとうございました。そして、現在、子どもの学びを保障しようと日本全国で尽力されている教育従事者に想いを馳せ、心からエールを送りたいです。