お知らせバックナンバー(2011年~2020年)

2014.01.08
お知らせ

学長からのメッセージ「教職員に対する年頭挨拶」を掲載しました

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 新年あけましておめでとうございます。
 さて,昨年暮れに文部科学省からミッションの再定義が行われました。教員養成大学としては非常に大きな問題を提起しているものでありますが,教員養成の評価・あり方が教員採用率を大きな柱として再定義されました。卒業生の何%が教員採用試験に合格しているのかという実績で,国立大学法人の教員養成大学が厳しく評価されることになったのです。その根底には,産業競争力会議などの経済界の要請や,国立大学が国民の税金を投与して維持するに値するかどうかという問題提起があったということはご承知のとおりです。
 ではなぜ今,教員養成大学に教員採用率が問われたのでしょうか。その背景には幾つかの要因があると思います。少しさかのぼって検証してみる必要があります。2005年に国から教員養成の緩和政策,自由化政策が打ち出されました。それまで,教員養成大学については開放性の原則がありながらも,国の計画によって教員養成を行うという実態がありました。「目的大学化」ということが行われる中で,教員養成については「1万人体制」とか「1万5千人体制」ということが実際としては進められ,児童数の増減に応じて教員養成大学の学生数を増やす,あるいは減らすという施策も打ち出されました。つまり,義務教育段階の教員養成については国立大学で行うということがなされ,私立大学にとっては小学校教員の養成に一定の抑制がかかっていたのです。それが,2005年に撤廃されたのです。教員養成の自由化,規制緩和です。それ以降,各私立大学は教員養成を行う準備をしてきました。とりわけ,都市部では教員採用の良好な条件があり,大学進学者の増加もあいまって,こぞって教育学部の設置を進めてきました。

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 時あたかも今年4月から,近畿地方で教育学部を開設する私立大学が目白押しです。このことは,教員養成は私学との競合的な環境の中に置かれたといえるのです。そういった中で,今回打ち出されたミッション再定義で教員採用率が問われるという事態を,本学がどのように受け止めていくのか,ということであります。一番わかりやすい対応は,負けないように教員採用率を上げればいいのだということになるわけです。しかし,教員採用率を上げることを否定するものではないことを前提にお話をしますと,大阪教育大学は,教員採用試験を通すためだけに学生を育成して,それでいいのかという問題があります。
 戦後,国が教員養成を国策として維持してきたということの中には,公共的なものとして教員養成を行うという方針があったのです。そして,開放性の原則による教員養成の中,教員養成を大学において行うという原則もありました。つまり,教師というのは国の将来を担う大切な仕事であり,一定の教員数の確保を国策として採ってきたということであります。そこには,教師という仕事の専門職性を大事にしていくという視点があったと思います。つまり,教師というのは,決められたことを単に教えるだけでいいのではない,国のあり方,子どもの未来を専門職として担っていく責任をもっているのであり,それゆえ,公共的なものとして教員の養成を行っていく必要があったということです。
 もう少し言えば,教職の専門性というのは極めて自律的で長期的でしかも,複雑なプロセスの中で行われるべき大切な仕事だという認識があったのです。そこでは,単に教員採用試験に通ったら教師になれるということではなく,教員に採用されて,20年,30年,40年,日本の国のあり方,日本の教育のあり方,子どものあり方,そういうものに責任をもって,専門職として対応する使命を有するという考えがあったのです。専門職というのは,職業的な自覚と,自らその職業を成り立たせていく自律的な職業意識,使命感を有していくことを大事にすることだと考えます。
 そして,本学が400人を超える学生を有している全国唯一の教養学科を維持・発展させ,高い専門職性をめざした大学院,そして新しく設置する教職大学院を作るに当たって,大学における深い研究と教育の成果のうえで教師のあり方を追求していく,つまり専門職性を追究していくという使命を再度自覚しなければならないと思います。そのなかで,学生は,いかなる教員になっていくのか,なり続けていくのかということを深く受け止めていく,学んでいく,研究していく,そこには教師として最も大事にすべき理念が,リベラルアーツといわれてきた教養教育にあることに結びついてくるのです。
 本学は伝統ある大学です。「伝統ある」とは決して時の動向におもねることなく,自律的に自らの大学のあり方を追求してきた大学であるというように,わたしは感じてきました。そのためには,本学は誰のための大学か,何のための大学かということを,常に問い直していかなくてはならないのです。このことを突き進めれば,文部科学省との緊張感ができるのは避けがたいと思います。しかし,文部科学省の意向を受け止めつつ,一方で,自律的に本学のあり方を追求していくというような,したたかな大学でなければ,おそらく教員養成大学は生き延びていけないだろうと思います。
 わたしは,学長として本学の10年,20年のスパンを射程において大学を運営していかなくてはならないと思ってきました。教師を養成するとはどういうことなのか,いかなる教師をどのように養成するのかのコンセンサスがなければ大学はもちません。大学を支えるのは教職員の皆さんです。教員は自らの研究にある程度のアイデンティティーをもつことができますが,職員の皆さんは,自分が勤める大学がどのような理念をもっているのかが,働くうえでの大きな支えとなると感じています。大阪教育大学に勤めているが,大阪教育大学はどのような大学か,何を使命としてもっているのか,ということを職員一人ひとりがしっかりと捉え,共有することが,働く職場での生きがいとなり,支えとなります。そこに,働くためのアイデンティティーが生まれてくるのです。このことが支えとなってこそ,職場は職場足りうるのです。
 わたしは,大阪教育大学はどのような大学になっていくのかについて深い関心をもっています。大阪教育大学は,教員養成大学としては一本筋の通った,自律的でしたたかな大学であるといわれてほしいのです。わたしが大阪教育大学に大きな関心をもってきた根底には,日本の教師と日本の教育を担っていく,そのような重要な機関であるということを思えばこそであったと思います。
 今,日本の教育は難しい岐路に立っています。今後の日本をどのようにするかは,子どもの教育に係わっています。教師が,理想をもって子どもに接しているのか,社会のあり方,国のあり方,そしてグローバル社会といわれているような世界のあり方をしっかりと見据えて教師の仕事をしているのか,そうしたことをもう一度皆さんとともに確認し問い直していきたいと思います。そこからこそ,ミッションは再定義されるべきであると思っています。
 これからの教育養成大学は厳しい環境に置かれると思います。今後とも大阪教育大学がしっかりと自らの生き方を自律的に切り拓いていってくれると信じています。年頭に当たり,わたしの所見を述べさせていただきました。わたしの任期もあと少しとなりましたが,本年も皆さまのご支援ご協力をいただき,大学運営を進めていくという決意を述べさせていただいて,年頭のあいさつといたします。

2014年1月6日
大阪教育大学長
長尾 彰夫