エッセイ

中学校
2020/12/10
一冊のノートが教えてくれたこと
 

教師という仕事は「種まき」だと思っている。特に小、中の義務教育の9年間は様々な種をまく時期だと思う。小中学校でまいた種が、いつか芽を出し、花を咲かせたり実をつける。それを楽しみに卒業生を送り出す。残念ながら芽を出さないこともあるだろう。期待以上の大きな花を咲かせるかもしれない。ほとんどの場合、種がその後どうなったのかを私たちはよく知らない。でも、種のない所には決して芽は出ない。そう信じて種をまくのが私たち教師の仕事だと思っている。初任者の時に受け持った一人の生徒のノートを見て、その信念を持つようになった。

30年前、初めて教壇に立った。大学を出たばかりで右も左もわからないのに「先生」と呼ばれることになかなか慣れなかった。1年目から担任を持ち、担当教科の英語の授業の準備にも追われる毎日だった。今のようにコミュニケーション活動なんて全くできておらず、文法説明と教科書の日本語訳、練習問題の解説といった授業内容が主だった。工夫をしようにも余裕も知識もなかった。当時は当たり前だと思っていたが、今考えると反省するばかりである。 

そんな中、一つこだわって取り入れたことがある。それは「英語の歌」だ。自分自身、中学から高校にかけて洋楽が大好きになり、高1の時に初めて行ったコンサートがクイーンというのが今でも自慢だ。自分の青春時代にのめりこんだ英語の歌の素晴らしさを授業で伝えよう。そんな思いで授業の時に英語の歌を紹介していた。パソコンもなく手書きで英語の歌詞を書き写し、日本語に訳して配った。カーペンターズ、PPM、ジョン・レノン、ビートルズ…。歌詞が素晴らしいもの、学んだ文法表現が入っているもの、歌いやすそうなメロディー。自分なりに選んで授業で紹介していたが、なかなか生徒は歌ってくれなかった。それはそうだろう。英語を使って話す活動もろくにしていないのに、英語で歌うなんてさらにハードルは高い。―大きな声で英語を読んだり話したりしても恥ずかしくない。間違っても大丈夫。―そんな雰囲気を作らなければ英語の歌を楽しく歌える教室になんてできないと、今ならわかる。でも教師1年目の私はどうして生徒が歌ってくれないのかわからず、英語の歌を授業で使うことをあきらめてしまった。

初めて受け持った時に2年生だった生徒達が3年生になり、卒業が迫ったある日の休み時間に、一人の男子生徒が私のところにやって来た。そして、「2年生の時に先生が授業で英語の歌を聞かせてくれてからビートルズが大好きになりました。ありがとうございました。」と言って一冊のノートを見せてくれた。ノートにはビートルズの曲の歌詞がびっしりと丁寧に書かれていた。彼はどちらかと言えば英語が苦手な生徒で、クラスの中でも大変おとなしく、歌を歌う姿なんて想像できないタイプだった。私は驚き、そしてとてもうれしくなった。自分の授業で英語の歌が好きになった生徒がいる!自分がやったことに意味があった!教師という仕事の素晴らしさの、ほんのひとかけらを見つけたように思えた。そして次の年から、再び英語の歌を授業で使おうと心に決めた。

その後、たくさんの生徒との出会いがあり、うれしいことも数えきれないほどあった。不登校だった生徒が別室に通えるようになり、高校に進学して休まず通学できたこと。学級崩壊を経験して入学してきた学年が互いを大切にできる集団に育って卒業していったこと。やんちゃだった生徒が大人になって会いに来てくれたこと。いろいろな喜びの原点は、彼が見せてくれたノートだと思う。いつか芽を出すと信じて、あきらめずに種をまき続ける。そうすれば必ず教師冥利に尽きる出来事に出会える。一冊のノートが私に大切なことを教えてくれた。