エッセイ

高等学校
2021/02/02
情熱
 

passion(=情熱)はラテン語のpassio(=苦しみ)を語源とする言葉である。そのため、passionには「受難」という意味もある。何かに向かって直向きに努力するエネルギー「情熱」。それは苦しみなくして生まれることはなく、苦しみを克服しようという強い意志から生じるものである。

このことを教えて下さったのは大阪教育大学の島崎英夫先生。そして、それを姿勢で教えてくれたのが当時高校生のO君だ。

私は2019年4月から1年間、大阪市内の中高で非常勤講師を掛け持ちしながら採用試験に向けての勉強に力を入れていた。その傍ら、ボランティアで部員の少ない柔道部に行き、指導をさせて頂いていた。その柔道部に彼はいた。その柔道部には高校2年生のO君、高校1年生の男女1名ずつの3人しかいなかった。O君の柔道での目標は大阪府インターハイ予選でベスト16を目指すこと。しかし、少ない人数の中でO君は1年生2人に教えるので精一杯。自分の稽古に集中することは難しかった。

そもそも、私が仕事や勉強で忙しい中でボランティアを引き受けたのはなぜか。それは高校生に柔道を教えるのが私の夢だったからだ。私自身、高校生の頃に1人柔道部で活動した。平日にトレーニングをして、週末には出稽古に行った。「自分と同じ人がいて、一緒に稽古できたらどんなにいいか」と何度も考えた。だから、将来自分と同じ境遇の人たちに柔道をする場所を提供したくて教師になろうと思った。そんな私はO君とともに稽古を重ねた。その時には情熱の話を思い出し「弱いからこそ稽古するんや」とO君に何度も伝えた。厳しい稽古になることが多かったがO君はめげずについて来てくれた。最後の試合に向けて。

しかし、試合の日は訪れなかった。コロナウイルスの影響で中止となり、O君はそのまま引退することになった。2020年5月、引退の決まったO君が私に電話をしてくれた。「試合ができなくて悔しい気持ちで一杯です。けど、先生に教えてもらったことを忘れずに大学でも柔道を頑張ります。大学は教育学部を選んで、教師を目指します。」そう言ってくれた。

私は今年度から大阪府中学校保健体育初任教諭として働いている。たった8ヶ月だが辛い時が多くあった。これを書いている今でさえも。そのたびに思い出す。コロナの苦しさを糧にしようと、教師になるという情熱を胸に今も勉強に励むO君のことを。辛いからこそ頑張れるし、その頑張りが力になる。改めて教えてくれたのはO君だった。

私が考える教師「冥利」は生徒から学ばせてもらえること。そして、生徒が学び大きくなった末に自分と同じ志を持ってくれることがあること。

Oくん、今度は「1人柔道部の先輩」の背中ではなく「先生の先輩」の背中を見せられるように、恥ずかしい背中を見せないように、これからも頑張ります。学びをありがとう。