エッセイ

中学校
2020/12/23
教師のひと言
 

「先生は忘れていると思いますが、先生からかけられた言葉は今も忘れません」ある教え子から卒業後15年ほど経った同窓会で突然かけられた言葉です。

今から36年前、私が中学校に赴任した当時、中学校現場はいわゆる荒れている状況で、教室の窓ガラスはベニヤ板、校内暴力、シンナー、タバコなど生徒指導対応に明け暮れ、授業を行うこともままならない毎日でした。そんな中、私はその生徒に授業の机間巡視中に声をかけたらしいのです。私には記憶がありません。私はその教え子に「申し訳ない。自分は何と言ったのかな」と、傷つけることを言っていたら15年ぶりに謝ろうと恐る恐る尋ねました。するとその教え子は笑顔で「先生は、僕の机の横を通った時、僕のノートを見て『きれいな字を書いているね』と言ってくれた。そのときのうれしかったことはずっと心に残っています」と、私は驚くとともに熱いものがこみあげてきました。と同時に、教師のひと言とは何て重いんだと改めて感じました。これとは逆に教師のひと言がその生徒にとって深く傷つく言葉になることもあるのです。教師は自分のひと言が思春期の子どもに及ぼす大きさをしっかり心に刻み、覚悟しないといけません。

昨年度末、中学校の校長として退職するまで数えきれない卒業生を見送ってきました。卒業式で涙を出さないことは一度もありませんでした。卒業式の間、3年間の思い出が走馬灯のように思い出され、涙です。卒業式の後、反発ばかりしていた生徒数名が校門のところで整列して「今までありがとうございました」と言われてすべてが良い思い出に変換されてしまいます。

私が初めて学年主任をした教え子は今では40代後半となり、これまで数回学年同窓会をしてくれています。今振り返るとその頃の私は学年主任、学級担任、部活動顧問と1日24時間教師をしていたように思います。文字通り身体を張って生徒と向き合っていた日々でした。同窓会で私は教え子に「あの時は担任や主任として、しっかり出来てなくてごめん」と謝ります。教え子たちは笑って首を振って聞いてくれていますが、何かの巡り合わせで未熟な私とともに多感な青春時代を送ってくれた彼らに感謝の気持ちと申し訳なさがあふれてきます。

若い先生には「教師の仕事は本当に多忙でしんどいことが多いね。でも、感動で泣ける仕事は世の中にそうそうないと思うよ」と言っています。