エッセイ

中学校
2020/12/09
緊急事態宣言の中で
 

緊急事態宣言が発令され、家の中で引きこもり生活をしている中、うれしいことがあった。それは新聞の一面に見慣れた顔を見つけたこと。その顔は3月まで担任していたクラスにいたA君だった。記事を読むと進学した高校が休校となり、その間に自作のフェイスガードを作り、医療機関に贈ったとのこと。インタビューには「必死で医療を支えている人たちに少しでも役立ちたかった」とあり、A君の凛々しい表情共に、「A君らしい」と私まで誇らしい気持ちになった。

A君はサッカー部に所属するだけでなく、駅伝にも挑戦する頑張り屋だった。また3年生では学習委員長として学習コンクールを行い、校内の学力向上を引っ張った。これだけでも立派なのだが、それ以上に誰に対しても優しく、どんな小さな活動にも一生懸命取り組んだ。だから学級の生徒はA君を信頼し、私も本当に助けられた。

新聞を読んですぐにA君に手紙を書いた。4月の人事異動で転勤する際、A君を含めた何人かで花束をもらったお礼を兼ねて。まもなくA君から返信が来た。そこには「フェイスガードは自分の考えで作り、一番大変そうな病院に送ったら、急に新聞社が来てびっくりした」とのこと。そして「先生から、『何が必要なのかを考えて、そして自分から行動することを教えてもらったこと』をそのままやりました」と書かれていた。

この文面を読み、私は本当に恥ずかしくなった。その理由は、A君の担任した2年間を振り返った時、『全力で取り組めない』ことにいつも悩んでいたからだ。採用された年度から学級担任をやり続け、7年間の学年主任を経て、再び学級担任になった3年間。思うように体が動かず、それ以上に消えかかった情熱をどのように引き出すかに苦闘していた。経験からある程度の対応はできるし、生徒指導にも自信はある。しかし生徒に徹底的に寄り添うことがなかなかできない。そうなると同じ学年のパワー溢れる先生方に頼ることもあり、運動会や文化祭でもまったく成果を出すことができなかった。口には出さないものの「自分にもっとパワーがあれば、もっといい思いをさせられるのに」と後悔ばかりが募っていた。

4月から新天地に副校長として赴任した。新しい仕事と立場に翻弄され、何が何だかわからない状況にいた中で、見つけたA君の記事とA君からの返信は、自分の足場を見直すきっかけとなった。

なんのために教職に就いたのか?それは生徒たちと共に汗を流し、その成長に少しでも役立ちたいから。ならば若い時にはできなかったことが、年齢や経験を重ねた今だからこそ『できる』こともあるということ。その一つが「あなたを信頼している。じっと見守っているよ」という支えができたのではないかと思う。

A君のクラスを行事で勝たせることはできなかった。でも一人ひとりとはかなり話してきたと思い出した。熱く、情熱を全面に出す先生もいれば、寡黙で何も語らずとも伝えることができる先生、そして私のように生徒に支えられる先生。学校の中にいろんな先生がいていいと思う。その中で子供たちは好きな先生、目指す先生、こんな人にはなりたくない先生を社会の中の大人の例として、見つけることができるのではないだろうか?

今日も一人の大人として学校の中で動いている。自分にできることをしっかり行うこと、それが生徒のため、子供たちのためと信じて。