エッセイ

高等学校
2020/12/01
諦めないこと
 

私は高校の正規の教員に成るまで12年間転職を繰り返す中で、仕事は大変なことが多くありました。しかし教師になった後はその大変さで苦しいと思ったことはありませんでした。

高校教員に成ってから多くの生徒に出会い、クラスの生徒達と卒業後に蔵王温泉にスキー合宿に行ったり、卒業生と青春18切符を使って鎌倉に歴史散歩の旅行もしました。この様に卒業後も充実感を得た旅行ができたのも教師という特殊性のある仕事であったからであると思っています。

その中でもA君との出会いは強い印象が残っています。A君との出会いは工業高校の建築科のクラスの現代社会の授業を持ったことから始まります。A君は授業に積極的に取り組んでいました。特にほかの生徒とは違い、授業方法や内容など細かい点を聞きに来る生徒でした。その時の私はJRC部の部活の顧問をしていましたが、部員も居なかったのでA君がJRC部に入部しくれることを期待していました。しかしJRC部の部活の内容が、公園の清掃や日本赤十字社のボランティア活動の補助でしたので、多くの生徒にJRC部に入ることを頼みましたが断られることが殆どでした。

その点A君はサッカー部でしたが、JRC部の活動日でサッカー部が休みの日には参加してくれました。また一学期の終わり頃になり、A君がサッカー部の顧問と意見が合わないことがあってサッカー部を退部してJRC部に入ることになりました。お陰でその後、新入生を積極的に勧誘などしてくれて部員ゼロでの廃部の危機は脱しました。

A君は三年生になって私の所に進路について相談にきました。それは「今まで父親が建築関係の仕事をしていたので何となく建築科に入ったが、先生の授業の姿を見ていたら社会の教師の面白さを感じて自分も生徒達と楽しく社会の授業をする教師になりたいと思った。工業高校から社会科の先生に成るのは大変であることはわかっているし、他の先生から無理であると言われたが先生はどう思うか」というものでした。

私はA君の話を聞いて社会の教師になることは大変だが、私の経験もありA君を応援したいと思いました。ただ、普通科の進学校でも社会科の教師になるのは難しいので、英語の教師になることを勧めました。しかし入学当初から、彼が英語が苦手な事を知っているのに、英語の教師になることを勧めたことに彼は憤慨しました。しかし私は、若い時英語が苦手だった人ほど、努力して英語ができるようになれば、わかりやすく英語を教えることできると私は思うのでぜひ英語の先生にチャレンジして欲しいと話しました。特に今後はグローバル社会になり、英語の必要性が今以上に出てくる。このことから英語の教師も必要になり、教員採用の枠も広がる。逆に出生率の減少から社会の教師より英語の教師になる方がよいと話しました。

A君は私の話を聞いて、英語の教師に向けて努力して英語学科の大学に入学し、卒業しました。しかし採用試験を受けたが不合格でした。その後私が常々実力をつけることが大切であると話していたこともあり、A君は学力を高めるため、半年間留学しました。その後、産休する教員の代替講師に採用されました。その時の授業が評価され、その次の年に私立の講師に採用されましたが、正規の教師にはなれませんでした。私自身が30歳まで教壇に立てなかったことを話して、再度採用試験を受けることをアドバイスしました。
そしてA君は30歳にして正規の教員に採用されました。その後40歳にして彼は管理職に推薦されるまでになりました。そしてA君は私に会うと常々あきらめなくてよかった、こんな楽しい仕事はないですねと笑顔で話しています。私は、私の姿を見て先生になったA君を見ていると感無量です。
今回、私が70歳を過ぎて癌になり、100人近くの卒業生が生前葬やお見舞いのクラス会などをやってくれました。そのような事を思うと教師ほどやりがいのある仕事はないと思います。