エッセイ

小学校
2020/09/14
50年前の教室

両親が教師で、小さい頃より教師になることを夢みていた。父も母も老年になるまで教え子との交流があり、「教師に優る仕事はない、もう一度生まれ変わっても教師になる。」と教師をやっていて幸せな一生だった。私も小学校の教師になり東京で勤務した。八回の卒業生を送り出したが、その中で特につながりの深かったK区立H小学校昭和45年3月卒業の6年2組のことをお話したい。
5年、6年と2年間受け持った6年2組、私自身まだ30才前の人間的にもまだ未熟なものだった。

初めて送り出す卒業生。同学年のベテランの先生に教えを乞いながら一生懸命なだけだった。週1回、日記の宿題を出して、教え子一人一人との心の結びつきは深めたつもりだった。

卒業して中学時代からクラス会を開いてくれた。それ以降20回ものクラス会を開いてもらった。大人になってからはその都度写真を撮り、みんなの寄せ書きも入れてくれた。額に入れて飾ってある。25年前、私の退職のときには42名中30名の出席。よく集まってくれたと感心した。40才前のそのときの教え子一人一人が持ち寄った写真と一言書いたメモをアルバムにし送ってくれた。教師冥利に尽きる。感無量、私の一生の宝物である。2008年にも29名の教え子が集まり写真と一言とプレゼントをもらった。2010年には主人がなくなって、力を落としているだろうから元気づけようと又々たくさんの教え子が集まってくれた。その次の年からは、集まれる人だけでもあつまろうと毎年クラス会を開いてくれた。2017年教え子が還暦を迎えた年、母校のH小学校に行き、かれこれ50年前に卒業式のあと撮った写真と同じ場所に立ち、記念写真を撮った。

今私の机の上には、50年前に撮った6年2組の卒業写真と、25年前退職のときの写真と、12年前に大勢集まってくれた写真を飾って毎日ながめている。
つい先日、クラス会ごとにもらった教え子たちの一言や写真を全部繰り広げてみた。どれも小学校の時と同じ、素直なやさしい子どものままの心、50年前の教室にもどっていく感じである。6年2組の教え子に出会えた事に感謝している。教師でなければ教え子の50年の成長を楽しむことはできない。教師冥利に尽きる、教え子は私の宝物である。いつの時代になっても教師ほど尊いやりがいのある仕事はないと思う。

81才になった今、教え子たちの残してくれた写真と手紙を折りにふれ読み返しながら心豊かにすごしていきたいと思う。