学長対談「歴史的使命に挑む」

栗林澄夫学長が就任してから、まもなく1年を迎えます。
そこで、前兵庫教育大学学長で現奈良学園大学学長の梶田叡一氏をゲストに迎え、大学のトップの視点から「今後の教員養成の在り方と大阪教育大学の使命」について、熱く語り合いました。

 

栗林 澄夫(くりばやし すみお)大阪教育大学長
【略歴】
富山大学文理学部卒、大阪大学大学院文学研究科修士課程修了、文学博士。研究分野はドイツ近現代文学。平成16年4月から国立大学法人大阪教育大学理事・副学長、平成26年4月から学長に就任。昭和23年生まれ。


梶田 叡一(かじた えいいち)奈良学園大学学長
【略歴】
京都大学文学部哲学科心理学専攻卒、文学博士。大阪大学人間科学部教授、教育職員養成審議会委員、中央教育審議会副会長・教育課程部会部会長、京都ノートルダム女子大学学長、兵庫教育大学長、環太平洋大学学長を歴任し、平成26年4月から奈良学園大学学長に就任。昭和16年生まれ。

教養学科出身の学長として

梶田 栗林先生は教養学科の、それもドイツ文学が専門領域という、教員養成系大学におけるいわば傍流ですね。わたしはね、教員養成の領域外の方が大阪教育大学の舵取りをされることは大変結構なことだと思います。わたしも自己意識研究が専門で、教育職員養成審議会の委員ではじめて教員養成に足を踏み入れ、中教審の教員養成部会長を3期務めて教職大学院制度や免許更新制度の導入に携わりました。そこで痛感したのが、教員養成の発展には、純血主義ではいけないということです。大阪教育大学では、教員養成課程と教養学科が相互に影響しあい、うまく融合していますね。教養学科出身の栗林先生がトップになられたことは非常に意義深いことです。

栗林 教員養成に本格的な関わりを持ったのは、1980年代後半のキャンパス移転問題のときです。大学の存亡がかかった危機的状況を打開するために、超党派の若手有志の勉強会に参加し、教員養成の在り方や、人材育成の観点からみた大学教員の配置などについて議論を重ねました。今振り返ると、学長としての下地作りとなったように思いますし、勉強会の存在がなければこの場にいないかもしれません。

教育の本筋は教養教育にあり

栗林澄夫大阪教育大学長

栗林 教員養成におけるわたしの考えとしては、師範学校から大学という高等教育機関に組織変革がおこなわれたことは、単なる制度的枠組の変遷に留まらず、広い視野で物事を判断し、豊かな人間性を養うという、教養教育の観点が入ったことが大きいと解釈しています。技術的なものだけでなく、高い人間的資質を備えた教員を養成することが、高等教育機関としての使命だと思うのです。

梶田 まさに仰るとおり。長野県の小学校では信州教育の伝統として、毎月一回、職員会議の後に古典の輪読会をしています。教壇に立つ者は、知的な深さがなければいけないという思いから始まったもので、これは良い先生になる上で大事なことです。ドイツ文学も人間の成長をテーマとした名作が多いですね。

栗林 ドイツは長らくヨーロッパの後進国でしたから、人間の英知を磨かかなければ産業の振興はないというお国柄が文学に象徴されているのではないかと思います。教育というのは、教育法で言うところの人格の完成をめざすということ。先ほどの信州の教育に表わされている教養教育に織り込まれた、人間をどう育てるかという考えが教育の本筋だと思います。

教職大学院の意義は

栗林 しかし学校現場の疲弊により、その本筋が忘れられがちになってしまっています。本学がそうした現場の状況にどう対応するかを考えた結果、教職大学院を創設することにたどりつきました。現場を取り巻く厳しい課題と向き合い、学校教員に求められている能力を正しく見極め、実践性に優れた教員を養成することが強く迫られています。

梶田 教職大学院を設置されたことは大歓迎です。1970年代に、教員の再教育を目的とした大学院創設の第一波となる議論が起こり、兵庫教育大をはじめとする「新構想大学」が誕生しました。しかし残念なことに、三大学に任せても状況は大きくは変わりませんでした。

栗林 本学教員にも卒業生がおり、兵庫教育大学が関西で果たしてきた、教員養成教育の高度化への寄与は大きいと思いますが。

梶田叡一奈良学園大学学長

梶田 全国の小・中・高の教諭は約100万人です。率直に言って、その規模からすると新構想大学が果たせたことはごくわずかです。もう一度、100万人規模の教諭に刺激を与え、現場を変える原動力となるために、教員養成の専門職大学院を、という議論が巻き起こり、平成20年度より、教職大学院が創設されました。初年度は10大学が設置しましたが、あとがなかなか続なかった。だから、西日本の教員養成系大学で最大規模を誇る貴学が設置に踏み切られて大変嬉しい。実現したのは、大阪府をはじめとする教育委員会との長年の結びつきがあればこそだと思います。わたしが学長を務めた兵庫教育大学の教職大学院も、兵庫県教育委員会が全面的に協力してくれました。それは、大学と同様、県教委も現場の課題を正しく認識していたからです。やはり、地域の教育委員会との連携が鍵となりますね。

栗林 大阪府、大阪市、堺市および豊能地区の教育委員会とは、定期的な連携協議会で折衝を進めていますが、それだけでは足りません。学長であるわたしが御用聞きとなって各市町村の教育委員会に細かく足を運び、そこを通じて学校現場と連携する段階に入っているように思います。大学の教員養成が現場でいかに役に立つかということを議論していく時期です。

梶田 教育委員会も苦労していますね。教壇に立って教える側に回る人は、小さい頃から勉強がよくできた人が多いのですよ。しかしそれは弱さでもあります。できない子をどう扱ったらよいかわからない先生が少なくない。教育委員会は現場の相談役ですから、そういった事情をよく理解しています。大学だけでわからないことは教育委員会や、校長、教頭と繰り返し接して、現場の生の声を教員養成教育に活かすことが重要です。

栗林 そのためには、教育委員会と連携して優秀な先生方を推薦してもらい、実績を積み重ねないと、学校現場で力を発揮するのは難しいと認識しています。今年度の本学教職大学院の定員は30人ですが、3年後の平成30年度には60、70に伸ばす具体的な数値目標を持って取り組みます。さらに、既存の大学院の教職大学院への一元化や、教職大学院への教科教育の導入も検討しています。これらの課題をこなしながら、より多くの現職教員に門戸を広げるよう、規模を大きくしていきたい。

梶田 新たな教員養成の動きでいえば、免許制度を根本的に変える動きが出てきています。現状の基礎免許は単位が多すぎて、抜本的に削減する必要があります。教員養成部会委員は、現場を知らない方も多いので、議論するごとにあれも必要、これも必要と単位が増えてしまう。それではダメで、医学部などは、思い切ってカリキュラムを大綱化しています。学校運営の中で、学年主任が若手の指導をしながら、体系的な形で力をつけないといけませんし、そのためには、地域にカリキュラムセンターを置き、先生たちの自主的な研究を支援し盛り上げていくことが必要です。今から20数年前、わたしが教育委員をしていた箕面市で、そうした教育センターが設立されたのをきっかけとして、全国各地でカリキュラムセンター的機関が設置され、先生たちの自主的な教育活動の支援やネットワークの構築に貢献しました。

栗林 現在は教職大学院が、カリキュラムセンターの役割を担っていますね。特に本学教職大学院の場合は、本拠地が天王寺キャンパスですから、まさに現職教員のための大学院と言えます。わたし個人の構想としては、20階建ての棟を3つ建てて、大学の本部拠点を天王寺に移すことも視野に入れています。

梶田 それはぜひとも文科省に強く言って実現すべきです。

アメリカの失敗から学ぶ

梶田 ただ、教育研究も成功例だけでなく、失敗からも学んでほしい。最悪の形が『ゆとり教育』で、“誰が生徒か先生か”のめだかの学校状態になってしまった。教師は子どもの何万倍も教養があり、視野の広さ、深さを持っていないといけません。教職大学院の運営でそれを再確認してほしいです。

栗林 ゆとり教育が不幸だったのは、子どもに材料を与え、熟考させて育成する試みだったのが、結果は教育ネグレクトになってしまったところです。

梶田 そう、最初の課題認識は正しいのです。アメリカがひと足先にさらに悲惨な失敗をしています。1970年代の『オープン・エデュケーション』がそれです。それ以前のアメリカは、“ムチを振り振りチイパッパ”のすずめの学校状態が横行していたことから、子どもの側の発想を取り入れるべきとの考えから始まったものです。代表的なものが、ニューヨークの「壁のない学校」です。町中すべてが学び舎であるとして、子どもたちが先生と相談して、毎週自分で学習計画をつくる。あとは各自自由に町をめぐり、たとえば自動車修理工場で修理の仕方を習得すると、「実践自動車工学」という単位が取得できるという具合です。

栗林 アメリカの教育は、フリースクールやチャータースクールなど、今でもそういった要素が残っていますが、かなり急進的なものですね。

梶田 1970年代後半になると、現場の教師たちから「子どもたちの行儀が悪く、学力低下も深刻化している」との声が相次いだことから、1983年、連邦の有識者会議において「危機に立つ国家」という、基本に帰り基礎を保証すべし、との報告書が提出されました。そこからの復旧は迅速で、1、2年で教育カリキュラムを回復させ、その結果、学力も向上しました。フリースクールやチャータースクールをつくって自由の余地も残しましたが、枠組みのある教育を施さないと社会は崩壊してしまいます。『ゆとり教育』もそうですが、要はバランスなのです。まず教師主導の教育指導があり、もう片方に子どもの世界があることを忘れてはいけません。ぜひ、教職大学院で人間としてのバランスの取れた見方や、懐の深さを養ってほしい。教師としての資質は授業のうまさけではありません。課題一つひとつを洗い出してより良いものにしてください。

栗林 教職大学院は教員養成の高度化のひとつの形でもありますが、先ほどから申しているとおり、教養教育も大事にしたい。アメリカでのゆとり教育がどんな悲惨な結果になったかは、まったく仰る通りです。その反省から、1980~90年代に、教養教育を中心とした生涯学習を再評価することで高度化を果たしました。わたしはアメリカでのITの発達もその流れがあってこそで、日本の教員養成においても、その流れを止めてはいけないと思うのです。

教員養成系大学の英知を結集した博士課程を

握手をする栗林大阪教育大学長と梶田奈良学園大学学長

栗林 ありがとうございます。やはり日本全体で教員養成の高度化を図るには、教員養成系大学全体の英知を結集させて、仕組みをつくることがとても大事だと思います。形を作るのは文部科学省ですが、各大学が責任を持って提言していかないといけません。

梶田 文科省としても具体的な提言があれば動きをとります。大阪教育大学は、東の東京学芸大学と並び立つ西の雄です。ぜひ、一刻も早く博士課程を設置するべきです。貴学は教員採用実績でも日本でトップクラスですから、この水準を維持しつつ、西日本で博士課程における中心的な役割を担うこと、それは貴学の歴史的な使命です。それに、博士課程を設置するということは、貴学の先生方にとっても良い刺激になるのではないでしょうか。

栗林 一時期は、教員養成課程と教養学科で全く別の方向に向いているときもありましたが、博士課程を仲介として、再び教員養成課程を中心とした高度化モデルをつくる方向へ、軌を一にして協力し合えると期待しています。

梶田 貴学の規模の大学教員が一丸となれば、西日本全体を牽引できます。そういう意味でも、先頭に立つ方が教員養成を広い枠組みで考えておられるのは頼もしいことです。

栗林 ただ、教職大学院をはじめとする、学校現場のニーズへの対応が大学における喫緊の課題となっている中、旧帝国大学の教育学部で博士を養成し、教員養成系大学に送り込む気勢が急速に衰えています。今こそ、全国の教員養成系単科大学が一致団結して博士課程を創設し、実践性をふまえ、現場で役に立つ見識のある大学教員を養成し、その存在感、底力をアピールする時が来ています。

梶田 現在、単科大学では、東京学芸大学や兵庫教育大学が基幹大学となり、教員養成系学部を持つ大学との連合大学院で博士課程を設置していますね。

栗林 本学と北海道教育大学を中心とした残りの6単科大学で議論をする流れも一方にありますが、やはり全教員養成系大学が一枚岩となり、どのような博士を養成しなければいけないかを議論すべきです。

梶田 そのためには、旧帝国大学の領域と一線を画したものでなければいけません。各単科大学の本領を発揮した博士課程を期待します。

アジアのリーダーとして

栗林 どの程度その期待に応えられるかはこれからですが、学長に就任してからの1年間で、新たな対応を図る必要がある部分も見えてきました。特に重点を置くのが、「グローバル化への対応」です。これは国立大学改革プランへの回答でもあるのですが、国際センター長を務めた経験から、世界で通用する教員の養成をめざすべきだと認識しています。そのために、教員養成機関として各国で重要な役割を果たしている協定校42校※と一層の連携を図り、グローバル化の推進を優位に進めていきます。そしてゆくゆくはアジアの教育界の頂点に本学を導きたい。

梶田 日本の教育のあり方はアジア各国のモデルとして期待されています。栗林先生が在任しておられる間に、ぜひアジアのリーダーとして覇権を握ってください。

※平成27年1月現在

(『天遊』2015年特別号(vol.33)掲載)
※掲載内容はすべて取材当時のものです。

学内外掲載記事一覧はこちら

学長のメッセージはこちら